🌅21〉22〉─1─日本民族日本人のサムライ的覚悟を持った老後の身の処し方、死の迎え方。~No.88No.89No.90No.91No.92No.93 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2017年2月3日号 週刊ポスト「シニアのための『生き方』新・指針 弘兼憲史
 『手ぶら人生』を始める時が来た
 『60歳過ぎたら友人は半分でいい』
 などで知られる漫画家の弘兼憲史氏(69)は、定年後の生き方として『人生の整理』を説いている。その要諦とは。
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  60歳は、人生の起承転結の『結』に突入する年齢──そう位置づける弘兼氏は、納得のいく結末を迎えるために、早めの準備が必要だと言う。
 『60歳まで生きてきたら、誰しも家のローン、仕事や人間関係など色んなものを抱えています。残りのそう長くはない人生を大きな荷物を抱え込んだまま過ごすより、手ぶらで、身軽に生きたほうがいいと私は思うのです。
 とはいえ、現実的には持っているもの全部をバッサリと捨てられない。だけど、〝半分〟に減らすことはできるはずなんです』
 自らも60歳を過ぎて『身辺整理』を始めた弘兼氏は、『持ち物を半分にしよう運動』として、様々なものを処分したという。昨年11月には『弘兼流 60歳からの手ぶら人生』(海竜社)を上梓し、サラリーマン時代の名刺やスーツなどの持つ物を半分捨てることに加えて、『人間関係』についても身軽になることを勧めている。
 年賀状も歳暮も中元もやめる
 『友人が多い方が豊かな人生だと思っている人は多いのですが、60歳からは、信頼できる友人がほんの少しいればいい。友人が多ければ、それだけ付き合いに時間を割かれます。基本的に人間関係はギブ・アンド・テイクで成立するものだから、何かをしてもらうと返さなければなりません。表面だけの付き合いの友人は減らした方がいいと思います』
 若い頃は友人の多さが仕事などで有利に働くこともあるが、60歳になるとむしろ負担になるという。
 弘兼氏は、10年前から年賀状のやり取りをやめた。慌ただしい年の瀬に時間を割くより、有意義に過ごしたほうがいいと言う。
 『ずっと会いもしない友人とのやり取りは時間もお金も負担になるだけです。60代以上の世代にはやめにくい習慣で、送ってこないと「嫌われちゃったかな」と心配になるし、送ってこられたら「返さなきゃ」となってしまうので、無意味に続いてしまう。「もう、こういうやり方は今日的ではないので、お互いの負担もあるからやめましょう」と言っていいと思います。案外、相手も同じ気持ちだったりするおのです。それで切れる関係だったら、〝減らしていい友人〟だったということでしょう』
 友人の存在は自分との比較対象になりやすく、時として妬みや嫉(そね)みといったネガティブな感情を生み出す原因になりがつだ。弘兼氏は『60になってからそんなものを感じても仕方がない』として、悩みの種を取り除くことを勧める。
 『妻と旅行』幻想も捨てる
 弘兼氏が提言する人間関係の整理には、『妻』も含まれる。『今もラブラブの夫婦には関係ない話』と前置きしながらも、良好な関係を保つためには『奥さんとなるべく一緒にいないこと』『お互いの程よい距離を保つこと』の2点を説く。
 〝定年退職した男の価値はゼロ〟という謙虚な気持ちで、妻からも自立したほうがいいというのだ。
 『結婚生活で、「死ぬまでお前がいないとダメ」という人はあまりいないでしょう。それまでお互いに干渉し合って生きてきたんだから、60過ぎたら互いの生き方を尊重した方がいい。
 定年後にありがちな「妻と旅行」幻想も捨てるべきです。奥さん孝行で自分の株が上がると期待しても、嫌われる可能性の方が高い。奥さんから誘われたなら別ですが、そうでないなら「友達と行っておいでよ」と旅行費を渡したほうがよっぽど株があがります』
 〝手ぶら人生〟を勧める弘兼氏は、親兄弟や子供などの『家族』との関係も見つめ直すべきだとしている。
 『「家族は結束しなければならない」という強迫観念で互いを縛り合うのは、苦しいこと。現実には家族といっても自分とは他人だし、合わないこともある。疎遠になった兄弟にあまり会いたくないという人も実は世の中には結構いるんです。家族仲が良ければそれでいいのですが、家族がいずれバラバラになるのは自然なことで、家族一丸でいる必要はないんです』
 老後の最大の『家族問題』には相続と介護などお金が絡むことも多いが、『子供や孫のために、お金を残す必要もない』と言う。
 『例えば、子供の結婚式費用を半分以上出す親がいます。それでいながら自分たちの老後の生活は「面倒を見てよ」とアテにする。何とバカバカしいことかと思います。
 子が親の面倒を見るのは、これからの時代は無理。若い人が年配者の面倒を見るという制度が成立しなくなってきているのは、この国の年金制度を見れば良く分かるでしょう。自立した子供たちには「もう面倒は見ないから自分たちで生活してくれ。その代わり、こちらの面倒をみてくれとも絶対言わない」と約束を交わした方がいい』
 友人や家族の整理には勇気もいるし、気後れもある。だからこそ、弘兼氏は『それがストレスに感じる人は実行しなくたっていい』と言う。
 『60過ぎたら様々なことを気にして苦しむより、自分の生きやすい空間を作って、その中でストレスなしに生きるのが一番じゃないか、という提案です。
 人生は、いつまでも夏じゃない。秋になり冬になり、最後は雪の中に埋もれるように死んでいくんです。色んなものを冥途まで持って行っても、何の役にも立たないですから』」
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 閉ざされた狭い日本列島で多発する自然災害は、人災害の戦争や暴動さらには病気・疫病とは違って、地位、名声、名誉、階級、身分、出自、職業、貧富、老若、男女、善人・悪人、正い心・邪な心、美しい・醜い、宗教・信仰、思想・哲学・主義・主張、心情に関係なく全ての人に「平等」「公平」に襲う。
 自然災害多発地帯日本列島では、たまたまの偶然が起きる事はあるが、「宗教的な奇跡」は起きないし、そもそも「絶対神の奇跡」などはない。
 俗世の、豪邸も、豪華な家財道具も、高価な衣服も、貴金属などの金銀財宝も、一切合切が瞬時に消えてなくなる、無意味・無価値で無用の長物に過ぎなかった。
 日本民族日本人の老人の覚悟ある生き方とは、繰り返し襲い来る甚大な被害をもたらす自然災害の中を如何に生き抜くかという術である。
 それは、「捨てる」「持たない」「欲しない」「求めない」という生き方である。
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 人間が起こす人災は、発生前から収束まで、たとえ戦闘最中でも疫病の蔓延中でも助け合う事ができる。
 自然が起こす天災は、発生時はと発生後は助け合う事はできても、災害被害が拡大している真っ只中での助け合いはできない。
 人災は皆で一緒に逃げられるが、天災は自分一人で逃げるしかない。
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 日本民族日本人の薄情な生き方とは、助け合える人災対応ではなく助け合えない天災対応の生き方である。
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 城勤め、宮仕えの武士は、30歳〜40歳の若さで家督を15歳〜18歳の子供に継がせて引退し、隠居になり隠遁し、屋敷内の日陰な隠居部屋か敷地内の片隅にある隠居所に入った。
 あるいは、家を出、町から離れた辺鄙で不便な山林か河川敷の荒ら屋に、家族や親族と距離を置きながら世捨て人として一人で住みついた。
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 家督を継がされた子供は、家を出て勝手に隠遁した親を面倒を見ず、荒ら屋で一人死ねば、世間体を気にして、子供の務めとして金を掛けない質素な葬儀を出して遺体を葬った。
 助けずに薄情に徹しきる、それも親孝行であった。
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 城勤め、宮仕えの現役とは、何時、主君のその場の気分・感情・思い込みで切腹を命じられるか分からない、上司が起こした失政の責任を押し付けられてお役御免になるか分からない、綱渡り的な超ストレス状態の事である。
 武家の男尊女卑とは、四六時中、いつ何時切腹を命じられて理不尽に「命」が奪われるか分からないという超ストレス状態を紛らわす為であった。
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 誰も、好き好んで城勤め・宮仕えをしていたわけではなく、渋々、嫌々、祖先からの家禄を貰う家を子孫に残す為にしていたに過ぎない。
 真のサムライとは、四の五の言わず、愚痴も言わず、不平や不満も言わず、偏屈になりながら弱音を吐かず、身の不運を並べて泣き言を言わず、人に甘えず、神仏に頼らず、一人で生き、一人で死ぬ、覚悟を持った人間の事である。
 現代日本には、誠と志と気概を持った颯爽とした潔いサムライは存在しない。
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 江戸幕府は別として、各藩はよほどの財政危機に陥らない限り、命の危険を伴う藩政改革を行う事を嫌っていた。
 各藩の藩士は、英邁で藩政改革に取り組む主君・大名を嫌い、藩士総意を無視して藩政改革を行おうとする主君・大名を強引に無力化した。
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 武士・サムライの生き方は、日本だけに通用する生き方で、世界では理解されない。
 常識ある真面な人間ほど、食うや食わずの乞食・浮浪者あるいは下働きの下層民になっても、間違ってもサムライ・武士にはなりたいとは思わなかった。
 ゆえに、最下層の乞食・浮浪者となって諸国を彷徨い悟りを開いて死んだ高僧・名僧の話がもて囃されていた。




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