🚷17〉─1─戦後の中絶は約3,630万人で、闇の堕胎を加えれば約1億人。水子供養。~No.81No.82No.83No.84 @ 

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 週刊ポスト「昼寝するお化け 曾野綾子
 『小さな英雄』
 相模原市の障害者施設で、入所者19人を殺害した植松聖という元職員は、その後の警察の調べに対して、重い障害を持つ人を社会から抹殺することの意義を、そのうちに世間も理解してくれると思う、と供述し始めたという。
 ……
 今改めて、素人がわかる範囲の数字を追ってみると、正規に届けられた人工中絶数は、1949年から2005年までの間に、約3,630万人である。1949年といえば、終戦後4年目だ。日本は、あの凄まじい敗戦の貧困と混乱の中でも、戦後4年目からこれだけの統計を取り始められたのだから立派なものだ、と私は評価している。アフリカの多くの国々では、今でもこうした統計など全くないところが多い。従って政策も立てられないのである。
 日本が中絶でもっとも多くの生命を絶ってきたのは1953年から1961年までの9年間で、その間は年間100万人を超え、合計で約998万9,000人。つまり約1,000万人の命が中絶されていたのである。ナチス強制収容所で殺したユダヤ人の数が600万人だったというから、日本人は合法的中絶数はそれを上回ったことになる。
 胎児は殺されても、『声もあげられず、反対のデモもしない』最も無力な存在であった。
 私が勉強を始めた1979年頃に会った産婦人科医師の中の一人は、終戦直後と当時も続く無届けの『闇の堕胎』を入れると、その頃までに日本社会が命を絶ってきた胎児の数は、多分既に1億人近くに達しており、おおまかに言うと、日本国一国を抹殺できたほどの数になっている、と言っていた。中絶は戦後最大の『産業』だった、と言った医者さえいた。
 私はカトリックだったので、この中絶の問題については、時々ジャーナリズムから質問を受けた。私は敬虔な信者でもなく、カトリックの教義を代表する立場にもないから、困ったと思うことも多かったが、それでも私の中には大体の考は固まっていた。ヴァチカンは、一切の避妊を認めず、ましてや中絶はもってのほか、という考え方だった。私はその頃までにアジアや南米の貧しい途上国を見ていたので、避妊を認めないのはあまりに女性の立場からみて気の毒ではないか、という気がしていた。ヴァチカンはオギノ式と呼ばれる、女性の自然の生理的周期を使った器具なしの避妊だけは認めていたが、それは貧しい途上国の男性上位の社会を見ると、全く無理な話だろうという気がした。家にカレンダー1つ、鉛筆1本持っていない貧しい家庭はいくらでもあったのだ。だから私は避妊用の器具をつける方法しか実際にはできないだろうと考えていたが、それも貧しい家庭では経済的にむりなことだった。ただで避妊具を配布すると言わなければ、恐らく現実問題として実行できなかったろう。
 日本では認められていた妊娠24週以前の中絶も、私はやはり一種の殺人行為だと考えていた。卵子精子と結合して着床した瞬間から、それは人の命なのだ。だから中絶はどんな早期でもいけない。というのが私の考え方だった。しかし、人は(私も)時には、どんなことでもする。防衛のためなら時には人殺しもするだろう。それが正しかったかどうかという事情は、神さましかご存じないのだから、私は推測で中絶する人を非難してはいけないと思っていた。
 そのような事実とは別に、当時の日本では『女性の権利』と『人道的な言葉』が深く考えもせずに都合よく使われていた。新しい時代の女性たちは『産む産まないは女の権利よ』と言うかたわら、同時に『一人の人間の命は、地球より重い』と叫んでいた。いったいどちらなのだ。しかし後者の言葉も、よく考えてみると、必ずしも正しくなかった。一人の人間が犠牲になれば多くの人を救うことができる場合、強いられてではなく、自発的に我が身を犠牲にして多数の命を救った例は過去にいくらでもあったのだ、アウシュヴィッツにおいて、見知らぬ他人の一家の幸福を守るために、その人の身代わりになって死刑を受け入れることを申し出たマクシミリアノ・マリア・コルベ神父(ポーランド人)という人も、その典型だった。
 私はこの作品の準備中に、かつて聞いたこともなかっったような知識を得た。トリソミーと呼ばれる遺伝子異常の子供には瞼裂(けんれつ)外上方傾斜、耳介変形、短頸、筋緊張低下、腹直筋離開、臍(さい)ヘルニア、第5指の短小および内彎、直腸と肛門が繋がっていない鎖肛(さこう)ほか、複数の異常が組み合わさって現れる。しかし多くのトリソミーの子供は、実に愛らしい心根に育ち、一家の中の天使と思われる例が多い。当時一人の医師が言った。
 『こういう子供は、別に遺伝性の疾患を持ってきたわけではないんです。たとえば、うちくらいの規模の病院では、年間80例くらいのお産がありますけれどね。8年、9年と無事に健康な赤ちゃんが生まれ続けて、10年近くなると、僕はそろそろ不安になるんですね。
 統計として800人に1人くらいは、どうしてもこういう異常を持った子供が生まれてくる。だからそろそろ覚悟しなけりゃいけないかなと思う。一番先に、生まれてきた赤ちゃんの顔を見るのは、僕たちだからね。しかし或る時から、こう考えるようになったな。こういう子は、その他の799人分の不幸を、一身に担って生まれてきてくれた英雄的な子なんだ。だから社会全体で、この子を大切に育てていかなきゃいけない、ってね』
 私はこの言葉を爾来忘れることがない。不要な人間と思える人が、実はこうした運命を担ってくれていたのだと、植松聖にももっと早く聞かせてやりたかった」
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 日本の宗教・信仰には、世界の宗教観念では理解不能に陥る異常・異端ともいうべき「水子供養」がごく自然の存在する。
 日本全国に水子・子供霊を模るキャラクターが溢れている。
 ゆるキャラも妖怪・物の怪も、その大半が大人ではなく子供である。
 何故子供なのか、それは国の宝ではなく、大人とは違って神仏に近い存在で生命力に溢れた存在と考えられていたからである。
 子供を特別な存在と考えていたと同時に、中絶も盛んに行われていた。
 日本人は、不運にも生まれず流れた胎児やどうにもならない分けがあって中絶してしまつた胎児に対する申し訳なさと、一度、一寸でも血と肉体そして魂と情で親子の絆を結んだ縁に対して、命尽きるまで決して忘れはしないという覚悟で「水子供養」を続けている。
 それは、罪の償いではなく生きる者の務めであった。 




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アメリカの中絶問題——出口なき論争

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中絶論争とアメリカ社会――身体をめぐる戦争 (岩波人文書セレクション)

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