⛡270〉─1・B─綺麗事の観念的理想原理主義が日本人女性を不幸にする。出生前診断親。〜No.625No.626 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 現代の日本は、昔の日本とは違う日本である。
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 日本民族の生まれ出ずる物語は、奇形児・虚弱児・障害者・身障者・異常者と共に始まっている。
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 日本民族の伝統的死生観・宗教的霊魂観には、世界の普遍宗教が否定する土着の「水子供養」や科学万能主義が非科学的と否定する民俗の「座敷童物語」が受け継がれている。
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 2020年9月10日号 週刊新潮「『命の選別』という『出生前診断』を巡る悲劇の結末
 生まれてくる子が遺伝性の難病だとしたら・・・。そんな不安を抱えたまま出産すると、我が子はやはり根本的な治療法のない難病だった。将来を悲観した母親は『事件』を起こし、再起を誓ったものの自ら命を断った。出産前診断を巡る悲劇の結末をリポする。
 河合香織
 〈出てこないとやばい。警察とか大事になっちゃうよ〉
 21歳の長男がこうして幾度LINEを送っても音沙汰がなかった母親からようやく返事が来たのは、最後に〈寂しい〉という一言だけのメッセージを送った時だった。
 45歳の母親は殺人未遂の罪により、執行猶予中であった。1週間前、間借りしていた親戚の家を何も言わず飛び出し、執行猶予の条件として月2度あった保護司との面会を初めてすっぽかしていた。『今月中なら待ちます』と保護司は言ってくれたが、それを過ぎると保護観察所に連絡せざるを得ななるという。もしかすると執行猶予を取り消されるかもしれないと長男は心配していた。
 LINEに対しての母親からの返事には〈会おう〉と書いてあった。その日すぐに、母親は長男の職場近くのサイゼリヤまで会いに来てくれた。
 『死ぬとか絶対に考えないでね。がんばって働いて僕がアパート借りるから、早くみんなで一緒に暮らせるようにしよう』
 長男がそう言うと、母親は『〝今は〟練炭もないし、大丈夫だよ』と返した。
 あとで振り返れば、いつもすぐ泣く母親がこの日はまったく泣かなかったし、嘘が下手なのに、結果的にこの日だけは上手に嘘をついた。
 『大丈夫だよ』・・・。
 翌々日に会って一緒に保護司に連絡しようと約束をした。『今日はネットカフェに泊まりたい』と母親は言い、長男はまたすぐ会えると考えて承諾した。
 それぞれの車に乗って駐車場を出たが、長男が帰る家と母親が目指すネットカフェは方向が逆のはずなのに、なぜか母親は彼の車の後ろをしばらくついて来ていた。赤信号ではぐれた姿が、長男が母親を目にした最後になった──。
 出生前診断を受けられず・・・
 男の子ばかり3人の子どもを産んだ母親は、難病を患う1歳になったばかりの三男の口と鼻を塞いだとして、2016年11月17日、殺人未遂で宮城県警に逮捕された。三男は厚生労働省の指定難病を患っていた。3歳までの死亡例が多く、視覚や聴覚の障害を伴い、飲み込む力もなくなっていく症状を呈し、根本的な治療法は未だない。
 事件より10年ほど前に、母親は同じ病気により次男を4歳で亡くしていた。3時間毎の痰の吸引が必要で、ある日母親が介護の疲れから寝てしまった間に、痰が詰まって窒息死していたのだ。
 この病気は、父親と母親から同じ病気の原因遺伝子を受け継いだ場合にのみ子どもに発現する常染色体劣性遺伝によるもので、子は4分の1の確率で発症する。残りの4分の1は何もなく、その他2分の1は原因遺伝子を持つが発症しない『保因者』となる。
 罹患者は日本で10万人に1人と言われているが、保因者は150人に1人ほどいると推定されている。ほとんどの人がこのような病気を発症する遺伝子をいくつか持っているが、常染色体劣性遺伝では両親とともに同じ原因遺伝子を持っている場合のみ、子に遺伝子が受け継がれる。つまりこの母親、そして彼女の夫はともに自身は発病しなかった保因者で、次男と三男にそれが受け継がれ発症したことになる。
 逮捕された母親の公判では、子どもの難病と彼女の看病の困苦に同情してか、傍聴席に涙ぐむ声が響いたという。このような事情を鑑みて、17年仙台地方裁判所は、懲役3年保護観察付き執行猶予5年という判決を言い渡した。
 私は昨年、本誌12月5日号で〈『命の選別』という『出生前診断』に母親の懊悩〉と題したルポを書き、この母親が抱えていた心の葛藤と出生前診断の問題点を描いた。
 母親は次男の死に対して自責の念に苦しみ、引きこもりになっていた。それでも少しずつ心を癒やし、ようやく社会復帰できるかもしれないと思った矢先に、三男を妊娠した。三男が、次男が患っていたのと同じ病気を発症する確率は、先に説明したように4分の1であった。
 『またこの子が同じ病気だったらどうしよう。幼くして、苦しんで死んでいくのではないか』
 そう心配になった母親は、出生前診断を受けようと産科クリニックに相談に行った。しかし、『ダウン症などしか調べられない』、つまりは問題の難病は出生前に診断できないと、現実とは異なる否定的な答えをされたという。それはクリニックの単なる無知だったのか、それともそこにはできるだけ出生前診断は避けるべきだとの医療者としての信念があったのか。母親はなす術もないまま出産し、結局、しばらくしたら三男も同じ遺伝性難病であることが判明した・・・。
 出生前診断をめぐる議論は遅々として進まない。厚生労働省はこの8月、新型出生前診断(NIPT)のあり方につき、近く新たな検討部会を設けると発表したが、日本産科婦人科学会がNIPTを受けられる施設の要件を緩和する方針を打ち出したのは昨年3月のことだ。
 『命の選別』に関わるため慎重に議論を進めるべきだと繰り返し言われてきたが、命にまつわる大切なことだからこそ、丁寧にかつ迅速に、そしてタブーを設けずに様々な立場から議論すべきではないだろうか。科学技術の発達と人々の倫理の乖離はますます大きくなっていく。今を生きる命は結論を待ってはくれない。
 難病と分かった三男が入院している時、看護師に痰を吸引され体を真っ赤にして苦しみ泣く姿を母親は目にする。彼女は次男の苦しんで死んだ顔を思い浮かべた。
 『この子もどんなに生きられても4歳まで。苦しむだけで死んでいくのか。今のうちに亡くなった方が幸せなんだ』
 母はそう思い、咄嗟に我が子の鼻と口を塞いでしまったという。だが、すぐに我に返り、ナースコールを自ら押して、助けを求めた。三男はなんとか一命をとりとめた。
 私はこの母親に断続的に取材をし、LINEのやり取りをした。最初、私は彼女のことをどこか稀有な境遇を生きる『特別な人』だと思っていたのかもしれない。しかし、実際に会って話してみると、幼さの残る顔立ちにいつも穏やかな笑みを浮かべ、気遣いに満ちた優しい人のように思えた。
 辛い思いをしたにもかかわず、取材に応じてくれた理由を母親に問うた時は、このようなLINEが返ってきた。
 〈少しでも世の中がかわってくれたら嬉しいです〉
 この母親が変わってほしいと願った世の中とは、どんな社会だったのだろうか──。
 『楽になりたかった』
 以前同居していた母親の叔父が、仙台北署から電話を受けたのは、今年の4月29日の昼過ぎのことだった。
 『定義山(じょうぎさん)の山中の道のない場所に、目張りがしてある不審な車が止まっていた。朝、散歩している人がおかしいと気づいて通報した』
 警察の人はそう言って、車のナンバーを照会したら、こちらの電話番号だったと話を継ぐ。
 慌てた叔父は、母親の長男や姉に連絡し、皆で仙台北署に駆けつけた。後から、事件後に離婚した夫もやってきた。
 警察署では医師による確認が必要だと言われ、しばらく待たされた。その後、ようやく会うことができた母親は病衣を纏い、きれいに笑っているような顔をしていたと長男には映った。
 前日の夜、長男とサイゼリヤから出て別れた後、母親は三角油揚げが名物として知られた仙台市定義山に行き、睡眠薬10錠とストロング系と呼ばれるアルコール度数の高いチューハイを飲んで、練炭自殺をしていた。
 車の中には、携帯電話料金などの引き落とし分だけが残された預金通帳と、手書きの遺書が残されていた。実母や姉、義兄や姪などに対して、これまでお世話になったお礼などが几帳面な文字で綴られており、遺書は以前から準備されていたものでろうと窺わせた。だが、最後のページだけ異様に乱れた文字でなぐり書きされていた。長男宛に便箋一面、〈ごめんなさいごめんなさい〉という文字で埋められていた。
 そして遺書には次のような内容も書かれていたという。
 〈私はもう楽になりたかった。がまんできなかった〉
 何から楽になりたかったのだろう、そして何にがまんできなかったのだろう。この言葉の真意について、長男はこう考えている。
 『母は普段から楽になりたい、死にたいと言っていました。いつも一番苦しんでいたのは、弟を手にかけようとしてしまったことです』
 『苦しむだけの生なら、楽にしてあげたい』と考えて犯行だった。しかし三男は命は助かったものの、母親が口を塞いだ後遺症のために口から食事がとれなくなった。より苦しい生を余儀なくさせてしまったのだと母親は罪悪感に苛まれていった。
 『心の準備がほしかった』
 三男は事件後、自宅から高速道路で片道2時間以上かかる別の県の長期療養できる病院に転院することになった。面会も月に一度程度で、あとは家族にも会えずに暮らしていた。そして、新型コロナウイルスによって、そのような面会も難しくなった。
 出生前診断を受けられなかった不安や不満、難病の子どもを育てる困難、そして次男を失い三男を手にかけようとしたトラウマ──。
 母親には気晴らしをしたり、笑うことができる時間もなくはなかった。だが、いつも『あの子(三男)が苦しんでいるのに私が楽しんじゃいけない』とはなしていたという。
 『息子のことを手にかけようとした私が幸せになっちゃいけない。死んでお詫びする』
 母親がそう言うと、長男はいつもこう返事をした。
 『死んでもお詫びにならないよ』
 それでも母親は訴えた。
 『でも、こんなに苦しいのは嫌だ。お願いだから楽になりたい』
 長男によれば、母はこうもいっていたという。
 『結局あの子の命が助かったことが良かったかどうかわからない』
 長男も複雑な思いを抱えている。
 『たった1人で必死に生きようとしている弟は、家族にも会えずに寂しいだろう。少しでも幸せな時間を過ごしてほしいと願っています』
 けれども、一方でこんな思いも抱いている。
 『母があの時、出生前診断を受けられていたらどうだっただろうとも考えるんです。現実にどうしていたかはわかりませんが、難病の子どもだとわかっていたら、産まない選択をする母親も世の中にはいるかもしれない。少なくとも、母は産む前に覚悟ができていたと思うんです』
 実際、母親は以前、私にこう心情を明かしていた。
 『やっぱり(出生前診断を受けて)、難病を患った子が生まれてくるという心の準備がほしかったんだと思います』
 長男が続ける。
 『そうしたら今、母は死んでいなかったかもしれない。以前勤めていたクリーニング店で今も笑って働いていたかもしれない。でも、出生前診断を受けていた時の〝選択肢〟のことを考えてしまう自分を責める気持ちもあります。難病だろうとなんだろうと、小さな体で生きようと戦っている弟なのですから』
 母親は毎日『死ぬ死ぬ』と長男に訴え、今年3月にも練炭を用意したことがあった。この時は親族がそれを取り上げ、事なきを得たのだが・・・。
 長男の複雑な想いは、答えを探してループのようにぐるぐると回り続ける。
 『親族や周囲の人は、「そういう運命だったんだ」と言うけれど、絶対にそういうことはないと思います。母の命は、救うことができたはずだった。なんでこんなに不幸にならないといけないんだろう。どこまで不幸になればいいんだろう』
 ……
 三男入院中の事件の舞台となった宮城県立こども病院産科科長の室月淳医師は言う。
 『こうした痛ましいことを繰り返してはいけません。あらゆる出生前診断が命の選別だと批判されることに違和感を覚えます。どうしても育てるのは難しい人たちもいる。最後に子どもを育てていくのはその家族なのです。本人の決定を支援できる態勢が必要ではないでしょうか』
 『社会的な問題が背景に』
 遺体が発見された翌日、僧侶に枕経を1時間ほど読んでもらった後、5月1日に母親は荼毘に付された。
 だが、車は定義山に置かれたままだったため、『遺族が取りに行ってください』と警察に言われた。救出のためか窓ガラスが割られたその車うぃ、長男は自分で運転して帰ったという。昼間は人目が気になるため、深夜に車を取りに行った。
 『明かりがまったくない、こんな真っ暗な闇の中で、母は死んだんだと思いました。ハンドルがベタベタしていて、ひとりでずっと泣いていたのかもしれない。お酒も半分残っていて、あけてないワインもあった。車は練炭の燃えた匂いと、酸味がかった匂いがしていました。母が残した吸いかけのタバコを吸って、泣きながら車を運転しました』
 車の窓には、内側からも練炭の燃焼ガスを逃がさないためにガムテープで目張りがされていた。
 母にとって、目張りは初めてのことではなかった。
 生後間もなく、まだ難病の診断がままならない頃、三男がよく泣くと、『この子も遺伝性難病かもしれない』と心配になった。そうではないようにと願いつつ、だがすぐに泣く敏感な様子に母親は思い悩んでいた。病気を疑いながらも、はっきりと知ることができない苦しみは大きかったという。その時に藁にもすがる気持ちで、部屋中の窓に目張りをした。音に敏感だった三男が少しでも安心していられるように、外からの音を遮断しようとしたのだ。三男を守ろうとした目張りを、今度は自分の命を断つために使ってしまった・・・。
 先ほど私はこう問うた。この母親が望んでいた社会はどういうものだったのか。あるいはそれはこうも言い換えられる。どうしたら彼女は死なずにすんだのか。
 私が生前に彼女から聞いた思いのあらましは次のようなものだった。
 我が子を手にかけようとするのほどに母親が追い詰められるのはどうしてかを知ってほしかった。重い遺伝性疾患の可能性をもつ家族が出生前診断を望むことは本当に命の選別なのか。心の準備がどれだけ精神の緊張を和らげ、情報がないことがどれだけ不安であるかを知ってほしかった。そして重い病気の子を家族だけでは抱えきれない時、可能な支援をもっと知りたかった。
 けれども、彼女はそのことを訴え続けるのを諦め、死を選んだ。もちろん同じ難病の子どもを立派に育てている家族がいることも知っていた。それでも、自分のミスで幼い次男を亡くし、また次の子も長くは生きられないという恐怖、子どもへの申し訳なさは消せなかったのだろう。
 長男は言う。
 『だけど、弟の病気だけが死の原因だと思ってほしくはありません。もっと大きな社会的な問題が背景にあったのだと思います』
 社会的な問題とは、きれいごとを唱えて現実を直視しない社会のことを指しているように私は思えた。命は大切だという言葉に誰が反論できよう。それは自明のことであるが、その上でもなお、どうしようもない苦しみをもつことだってある。この母親は、その苦しみを背負いきれなかったのかもしれない。
 母親は40代半ばで生を閉じたが、三男は寿命と言われていた年を過ぎても生き延び、8月、5歳の誕生日を迎えた。」
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 ヒルコ(水蛭子、蛭子神蛭子命)は、日本神話に登場する神。蛭児とも。
 神話の記述
 『古事記』において国産みの際、イザナギ伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから先に男神イザナギに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。次に生まれたアハシマと共に、二神の子の数には入れないと記されている。棄てられた理由について『古事記』ではイザナギイザナミ二神の言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった子であったかは不明。後世の解釈では、水蛭子とあることから水蛭のように手足が異形であったのではないかという推測を生んだ。あるいは、胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児のことではないかとする医学者もある。
 『日本書紀』では三貴子(みはしらのうずのみこ)の前に生まれ、必ずしも最初に生まれる神ではない。書紀では、イザナミイザナギに声をかけ、最初に淡路洲(淡路島)、次に蛭児を生んだが、蛭児が三歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ。堅固な楠で作った船)に乗せて流した、とする。中世以降に起こる蛭子伝説は主にこの日本書紀の説をもとにしている。
 始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。
 伝承・信仰
 流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって夷三郎殿として西宮に現れた(西宮大明神)、と記している。日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多い。ヒルコとえびす(恵比寿・戎)を同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、それ以前に遡るような古伝承ではないが、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。現在、ヒルコ(蛭子神蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社兵庫県西宮市)などで祀られているが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代主とするところも多い。
 平安期の歌人大江朝綱は、「伊井諾尊」という題で、「たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たたずして」と詠み、神話では触れていない不具の子に対する親神の感情を付加し、この憐憫の情は、王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れみ、異形が神の子の印(聖痕)とするのちの伝説や伝承に引き継がれた。海のかなたから流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承が異相の釣魚翁であるエビス(夷/恵比寿など)と結びつき、ヒルコとエビスの混同につながったとされる。また、ヒルコは日る子(太陽の子)であり、尊い「日の御子」であるがゆえに流された、とする貴種流離譚に基づく解釈もあり、こちらでは日の御子を守り仕えたのがエビスであるとする。
 不具の子にまつわる類似の神話は世界各地に見られるとされるが、神話において一度葬った死神を後世に蘇生させて伝説や信仰の対象になった例は珍しいという。
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 日本中心神話(古事記日本書紀)には、伊邪那美命イザナミノミコト)と伊邪那岐命イザナギノミコト)の二神が、最初に生まれた蛭子(ヒルコ)がクラゲのように体形を維持できない奇形で3歳になっても自分の足で立てなかった為にやむなく海に流し捨てた、という物語がある。
 伊邪那美命伊邪那岐命の二神は、現皇室の祖先神である。
 日本民族は、「もののあわれ」から、親神に捨てられた哀れな幼子(神子)を日本仏教の仏心・霊力を借りてすくい上げ七福神の恵比寿({えびす}蛭子命)として祀り、海上・漁業の神、商売繁盛の神、福の神として篤く信仰した。
 恵比須講。
 日本の八百万の神々には、そうした捨てられた神や拾われた神が数多く含まれている。
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 日本の親神は、自分が産む神子を自由に選べない。
 伊邪那岐命は、自分が生んだ火の神によって大火傷をして死んでしまう。
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 蛭子・恵比寿は、生みの親神に捨てられるという不幸な生い立ちを持っていたが、日本民族の笑顔に満ちた祭祀で人々に害をもたらす荒魂・荒神、怨霊・祟り神、悪神・悪魔にはならず、大黒天(出雲神話の主神・大国主命オオクニヌシノミコト})同様に日本民族に最も愛される「好ましい神様」となった。
 それが、天皇家に一子相伝として受け継がれた伝統的宮中祭祀、皇道、大家族主義、つまり「八紘一宇」の心である。
 天皇家・皇室は、純真な心を持った奇形児・虚弱児・障害者・身障者・異常者の保護者である。
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 日本神道は、知的障害者を福を呼び込む商売の神様として祀っている。
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 敗戦後の混乱期。敗戦国の日本人女性(老婆から少女まで全ての世代で)は、ロシア人、中国人、アメリカ人、朝鮮人・韓国人によって強姦され凌辱され妊娠させられた、命大事という中絶・堕胎反対の空気圧によって望まない出産を強いられるという生き地獄が、日本国内、朝鮮半島、中国・満州南樺太、その他で起きていた。
 現代日本の日本人極悪非道の凶悪犯史観は、「日本人は被害者ではなく加害者である」という不変不動の大原則に従い、その事実を歴史の闇に葬った。
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