🚷7〉─1─2019年生まれ90万人割れ、毎年50万人減少時代の生き抜き方。〜No.35 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2020年1月2日 msnニュース 文春オンライン ©iStock.com 「「2019年生まれ90万人割れ、日本人毎年50万人減少」時代の生き抜き方
 山本 一郎
 政府が不思議とショッキングな言い方で「2019年生まれが90万人割れした」と発表していました。
 実際には、子どもを出産可能な女性の数が減ったので、人口学的に考えれば当然90万人割れしてもおかしくない。2019年の出生数が90万人割れすること自体は、何も不思議でもショッキングでもないのです。
 でも、急に「日本人が減りますよ」と突きつけられたら、みんなビックリしたんでしょう。
鳥取や島根がまるまる一個なくなるぐらい人が減っていく
 それは「すでに起きていた未来」であり、「対策が上手くいかなかった過去」に過ぎないのですが。
 出生数、初の90万人割れへ 推計より2年早く――自然減50万人超・厚労省時事ドットコム
 https://bunshun.jp/articles/-/22081
 私も、東京大学の旧政策ビジョン研究センターで客員研究員をやらせてもらっていた時期に、少子高齢化対策の政策立案のための調査などをやりました。少子化対策社会保障の基本であり、かねてずっと論じてきたところではあるのですが、改めて見ると悩みの深い事情です。
 間違った少子化対策はいつまで続く!? 結婚できず、老後に不安を抱えた中高年を放置する「貧困と孤独」問題は深刻化。これもまた人間の宿命であり現実か
 https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson29/
 また、人口減少が年間54万人になった、毎年鳥取や島根がまるまる一個なくなるぐらいに人が減っている! とセンセーショナルに語ってはいますが、お前らそれほど鳥取や島根が好きなんですか。どっちが右か、どっちが左か分からないぐらいにしか興味ないんじゃないかと思いますが、比喩として人口が減るネタとして鳥取規模の人口が消えるよと言いたいのでしょうか。
 それを言い始めたら、2028年ごろから100万人単位で人が減っていきます、日本から。そうなると、今年は広島市と同等の規模の人口が減った、今度は札幌市だ、と言い始めるのでしょうか。
 亡くなる高齢者の数に見合う子どもが生まれない
 ただ、人口が減るのは概ねにおいて寿命がきた日本人が亡くなることがほとんどです。高齢者が多いんだから毎年亡くなる人が多くなるのは当然よね。悲しいことだけど、内訳を見ればいままで日本を頑張って支えてきてくださった高齢者が御役御免で神のもとに召されることはまあ仕方がない。問題は、亡くなる高齢者の数に見合う子どもが生まれないこと(加えて、外国からの移民も少ないこと;ただし、移民に関しては是非があります)にあります。
 ところが、昨今のマスコミはどういうわけか「子どもが育てづらいから、もっと養育費にお金を政府は使うべき」「子どもにお金をかけないので、日本は少子化が進む」という、もう1990年代のエンゼルプランのころから否定され続けてきた議論を蒸し返してきて亡国路線な感じがします。
 子どもが増えない理由は「結婚できないから」
 実際には、日本では特に「子育て環境が悪いから(支援が少ないから)夫婦が子どもを産まない」のではなく、「結婚しない(できない)から子どもが増えない」ことが、学術的にはすでに判明しています。
 子育て世代が支援不足に感じるのは、単にその家庭の所得が足りないからであって、少子化対策のために子育て予算を積み増すことはあまり意味がありません。いまいる子どもとその親の世帯が経済的に楽になっても「じゃあ2人目、3人目を産もう」となるかと言われると、ならない。それは、晩婚化による初産年齢が30代になり、3人目の平均出生年齢も40歳間近になれば、お金に余裕があって欲しくてもできなくなっているというのが実情です。
 むしろ所得改善など経済政策の部分であって、子どものいる世帯かいない世帯かを問わず、若い男女の所得(手取り)が増えれば多少は結婚が増えるので子どもが増えるんじゃないかという副次的な要素しかないんですよね。
 これは、「結婚した女性が生涯何人の子どもを儲けるか」という有配偶(者)出生率という指標で見ることができるわけですが、要するに「1960年代から現在2018年にいたるまで、だいたい結婚した女性1人当たり1.8人程度の出生数であまり減っていない」ことが分かります。
 つまり、少子化対策においては「子育て環境を充実させる」ことよりも「未婚の女性に結婚を促す」ほうがダイレクトに子どもが増える、重要な政策であることが分かります。
稼ぎが悪くて子どもにカネがかけられないだけ
 一方、3人目、4人目を産む家庭については、夫婦共同での育児をしているか(夫の家事参加率)や、共働きの有無、所得の問題などが絡んできます。3人目の子どもを控える夫婦の理由で「経済的な理由」が跳ね上がるあたりで、ようやく「子育てしやすい環境がないので3人目を諦める」という問題になってきます。
 ところが、巷には相変わらず「子育てがしにくい環境だから、子どもが増えないのだ」と考える国民が多くいます。いや、それはあなたの稼ぎが悪くて子どもにカネがかけられないだけだから。ひどい場合だと、自治体が保護者にわずかな負担を求める給食費ですら、四の五の言って払わない親がいるのは、子どもの貧困の問題ではなくて、子どもの親のカネの使い方の間違いだと思うんですよね。たとえ生活保護でもパチンコや飲酒喫煙なども含めて使途が自由であるのは大前提であるとはいっても、未来ある子どもが栄養不足で体格が良くなくなるとか、人として本末転倒じゃないかと思います。
 実際には、公共サービスで子どもの出生や育児、教育に対する負担額はどこの自治体でも概ね子ども一人当たり年間120万円ぐらいかかっています。財布から出ていかないから気づいていないだけで、駅にはベビーカー用のエレベーターが増えたりバリアフリー工事が補助によって行われ、子どもは安い費用で保育園に預けられ、義務教育下で公立小学校に入れることができ、安い費用で給食を食べることができます。
 もっと子育て世帯に補助を、と言いたいのは分かるのですが、人口減少の理由は「人口構成上、ベビーブーム世代の団塊Jr.が概ね出産適齢期を過ぎた」「結婚しない女性が増えた」「出生するのが平均31歳になってしまい、人口増加までの期間が長くなった」の3点でほぼ言い尽くされる事象です。
 厚労省が発表した「令和婚で出産を先延ばしにした」というのは副次的な理由だと思いますが、現実に、平成31年から令和元年に切り替わる5月1日までの出生数がどうも劇的に減ったのが理由とされます。速報値では8%ぐらい減少したんじゃないかと言われていますが、まあ実際に減っているので、どうしようもないんです。
 所得の低い男性と結婚するぐらいなら
 また、出産年齢が上がったので子どもが増えないというのも正しくて、1965年の初産年齢は平均25.7歳でしたが、いまは31歳ぐらいです。25年ごとに新しい世代が生まれる半世紀前と、31年ごとに子どもができる現在とでは、出生数に差が出てくるのは当然です。2人目3人目が欲しくても、お母さんが40代に差し掛かってしまったので母体の健康やダウン症のリスクを考えて見送った、という家庭は少なくないと思います。初産が若いほうが、子どもを多く生む可能性が高まるのは当然のことと言えます。
 というわけで、日本の出生率をめぐる議論は閉塞感に満ちているわけですけれども、ここで政策面を考えてみましょう。
 何よりも、出生率に効く国民の行動は「経済的に安定していて」「結婚をしていること」になります。
 しかしながら、結婚できない理由の一番大きいものは、経済的な理由というよりは、自分に相応しい相手がいないというとぼけた項目がトップです。
平成26年度「結婚・家族形成に関する意識調査」報告書(全体版)
 https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/h26/zentai-pdf/index.html
 もう30代を過ぎたのにイケメン20代の年収600万男性を追い求める女性や、色白デブの中年男性が20代女性と結婚したいとほざくのは非常に一般的になり、「理想の結婚相手に恵まれないなら独身でいいや」と自己決定する人たちが少なくないとも言えます。
 一方、結婚や恋愛についての希望が失われている側面もあります。親の世代は結婚して子どもを儲けることで、より良い生活が送れるという希望がありました。いまの若い人は直接の経済的理由ではないまでも「結婚したところで、生活は苦しいままなのではないか」と億劫になる部分もあるのでしょう。女性の社会進出が進むと、女性が生涯未婚でも自活できる社会制度が整いつつあり、所得の低い男性と結婚するぐらいならば未婚のままキャリアを積んだほうが良いと考える女性も増加しそうです。
 経済力のある男は複数回結婚する
 また、いまや離婚が当たり前となり、キャリアと経済力のある男性は特に複数回結婚する「時間差一夫多妻制」が徐々に増えてきています。女性は概ね若くて初婚の傾向が強いとなると、必然的に結婚できない、結婚を諦めざるを得ない男性は社会に取り残されていくことになります。男性の生涯未婚率がまず上がり、やがて社会進出を果たした女性が未婚傾向を強めると、出生率に重大な影響を及ぼす結婚の絶対数が減り、日本の出生率は1.4台を続けることになるのです。
 そうなると、政策的に打てる手は少なくなってきます。民主主義的な世の中で、結婚したいけど相応しい相手が見つからないと思っている日本人に「いいからおまえはさっさと結婚しろ」と政府や自治体が言うわけにもいきません。せいぜい水飲み場ラクダを連れて行くように出会える環境を作ってあげることぐらいまでで、そこから先は若い人が、ご自由に、という話しかできません。
 民主主義の社会で、自己決定権が大前提になれば、結婚を社会的前提としていた時代と違い「こんな私に見合わないレベルの人ばかりなら、私は結婚しないでずっと独身でいたい」と思う女性が出るのも当然です。一方で、40代になった独身女性が、結婚して出産しなかったことを後悔しているさまを目撃しますが、それはもう第三者からすればどうしようもないことであり、いわんや政府をや、ということになります。
 政府の少子化対策が失敗に終わったと酷評されるのは、単純に国民に対して「結婚しろ」「子どもを産め」と強制することはできないからです。地縁血縁で結婚相手を押し付けるような戦前の結婚観は現代からすれば問題ですが、出生率の改善という観点から本当に解決を目指すのであれば無理矢理結婚させるか、結婚しなくても子どもが育める環境や技術が大事になってきます。
 昔ながらの日本の大家族制度があれば……
 そして、結婚サービスのデータなどを見る限りでは、もう手遅れな男女は少なくないのが現状です。性格が駄目、所得が駄目、健康面で駄目、年齢でもう全然駄目という人たちは、結婚できる見込みはほとんどなく、もう最後まで一人で生きていかなければならない状態で、人生も折り返し地点になって気づいて婚活に慌てることになります。本来であれば、もっと若くから学校で「結婚できる程度には身だしなみをきちんと清潔にして、家庭を養えるぐらいの経済力を持てるようスキルを磨きましょう」と教育しなければいけないんじゃないかと思うぐらいに。
 また、戦前から戦後まもなくまで、そのような結婚を前提とした出生と子育て、教育という環境を社会的に成り立たせていたのは、昔ながらの日本の大家族制度でした。いまは核家族が世帯の中心になり、しかも夫婦で働きに出ないと生活していけない環境になってしまったので、子育ての環境を今度は家庭ではなく税金で作った施設で整えなければならなくなりました。
 祖父・祖母の支援が子育てで必要な状況のはずなのに、地域でも顔見知りの少ない若い夫婦が、時短勤務で同僚の冷たい目線に包まれながら幼い我が子を施設に送り迎えするような環境が果たして良いのかどうかは、ちゃんと議論したほうがいいと思うんですよ。ちっちゃなリュック背負って満員電車で親に手を引かれながら乗っている幼稚園児を見ていると、私も「どうにかしてあげられないか」と感じます。
 もちろん、もともと人類というのは共同で子育てしていたという話もあるわけなんですが、顔見知りですらない地元の人たちに我が子を預けて働きに出ることが、家庭を守ることに繋がるのかと悩む夫婦に選択肢を用意することは大事なんじゃないかと思います。なぜか保育園無償化の話が出て、本来ならば希望者は全員保育園に入れることができ、保育園に我が子を預けることを希望しない人にも同様の支援が得られるような選択を与えることが大事なのに、いまや「子どもを施設に預けて働きに出ないと損」という謎のモチベーションが起きていることは凄く気になります。
 ましてや、私などは4人子どもがいますが、上が小学生、下が赤ちゃんとなると、じゃあ全員預けて働きに出てよいのかという問題に直面しますし、保育園・幼稚園までは全入だなんだといっても、小学生になってしまうと学童保育で夕方までどこかの施設で過ごす子どもが増えてきます。もしも日本が本気で3人目、4人目も目指して子どもを産んでほしいと願うなら、施設に預けて働きに出る親と同様に、在宅で子どもの面倒を見ている親でありたいという権利もまた、守られなければなりません。こう書くと、専業主婦擁護だと思われることもあるわけですが、でも働くより複数の子どもの面倒を見るほうがはるかに重労働な時期もあるのですよ。
 それらは、社会で子どもを適切に育てるというよりは、子育て支援の名目で子どもを儲けることのできなかった独身世帯から子育て世帯に理由なく所得を移転する類の「独身税」とでも言うべき状況になっているんじゃないかと思うんですよね。独身は別に犯罪でもないのですが、社会的にさしたる保護もされず、おひとり様扱いされるというのは社会からも家庭からも切り離された存在になってしまうという意味で悲しいわけですよ。しかも、歳がいってから気づいてどうにかしようにも、どうにもならないという。
 これは役目を終えた日本人が長い休みを取るプロセス
 最後に、毎年50万人日本人が減るので危機的だ、と言われることもまた多いわけなんですが、実際に亡くなるのは冒頭に述べたように基本的に高齢者ばかりです。生産人口から外れ、余生を送った高齢者が神のもとに召される話であって、生産人口が減るわけではありません。社会はどんどん老いていき、日本は衰退が止まらないのは事実としても、これからの人口減少は役目を終えた日本人が長い休みを取るプロセスで必ず起きることです。
 そして、2040年には高齢化の波はピークを迎えます。社会的に辛いのはここまでで、あとはゆっくり日本人が減りながらなだらかに6,000万人を目指していきます。日本が衰退する、怖ろしいという理由は、半分になる人口ではいまの日本がやってきた「経済大国として、国防以外のあらゆる産業、すべての社会制度を維持することができなくなる」というだけです。フィンランドがいい、スウェーデンが素晴らしいと言っても、フィンランドには500万人、スウェーデンには1,000万人しかいないんですよ。
 国民に自己決定権が行き渡った結果
 日本の場合、中央集権で永田町と霞が関で1億2,000万人を同じ法律、同じ制度、同じ税制で束ねてきたから非効率であっただけで、戦後の体制が持たなくなったら各地域で特色にあった政策を実現できる環境ができれば、別にいまからでも何も問題なく社会を運営していくことは可能であろうと思います。
 何より、高齢化のピークが過ぎる2040年以降は、病院ではベッド数が余り、医師も過剰になって、高齢化問題による負担は嘘のように軽くなっていきます。20年後だけど。未来に希望が持てないのは、高齢者をお世話しても劇的に回復するわけでもないという介護や医療の仕事に、才能のある日本の若い人たちがたくさん突っ込まれ、さして国際競争力も社会的生産性もない仕事に100万人単位で従事しているからです。日本でトップオブトップの学力を持つ人が医師を目指すのは、国家資格で手堅いスキルを身に着けられ、相応に高い所得が保証されるので親がそう仕向けるからであって、本当に毎年1万人も高コストな医師を養成し続けていいのか、という議論はもっとするべきだと思うんですよ。
 だって、2019年生まれが90万人切ったんでしょ。このまま年間1万人医師を養成するぞとなると、90人に1人が医者になってしまう時代になってしまいます。医療に従事する人は献身的に働いていますが、それは高齢者が人口比で増え続けてきたからで、団塊の世代が鬼籍に入り、高齢化の波が過ぎてしまえば一気に暇になってしまう可能性すらあります。
 単に「お前ら子どもをもっと儲けろや」という直線的な話ではなく、私たちの家族観、社会観と、経済状況も含めた社会保障全体を覆う問題なのであります。これは政府が無策だったというよりは、民主主義的な世の中で国民に自己決定権が行き渡った結果、変なのと結婚したくないと思う人たちが盛大に婚期を逃して独身のまま来ちゃったというのが現実です。
 これから改めていく必要がある社会制度
 何より、私たち人類は生物なのであって、社会保障だ国力衰退だと言う以前に「子孫を残す」ことが神から生命を与えられた一丁目一番地の使命であるとも言えます。本来は、何のために生き抜くのかと言われれば、子孫を残し、子を育み、健康で幸せに暮らしていくことにあります。しかしながら、それができない人たちもまた、幸福を追求する権利がある以上、政府が結婚を強い、子どもを無理矢理作らせることはできません。
 「生きる目的とは何か」という哲学の不在が、結果としていまの日本の社会問題を生み出し、余計な論争をし、子どもは生まれず社会は衰退しているのかもしれません。私たちの子どもの世代に、いまの日本社会をどうより良く引き継ぐのか。また、子どもが残念ながらいない人にも、子どもや親の世代を頑張って支えている勤労世代にも、納得のいく社会制度に改めてゆく必要があるんじゃないかと毎回、この手の問題を考えるたびに思います。
 何より、この人口減少が問題になる令和元年、第4子となる長女が生まれて半年ほど経って、私も46歳。もう2人3人欲しくて家内に頑張ってもらえるかどうか……という状況でして、ああ、長生きしなくては。」(山本 一郎)
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