🧣20〉─1─モンク・マインド。モンク思考。~No.56No.57No.58 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 2021年9月30日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「豊かな日本社会で「心を病む人」が増えている理由 「エゴの連鎖」を止めれば心穏やかに生きられる
 © 東洋経済オンライン かつてないほど豊かな現代社会。それでも、心の悩みを抱える人は増える一方のようです(写真:ペイレスイメージズ1[モデル]/PIXTA
 私たちは自らの欲望を簡単に満足させられる、かつてないほど便利な世界に生きている。一方で、人間関係が希薄となったため、心のつながりを感じられなくなったり、押し寄せる情報に翻弄され、自分が何を求めて生きているのか、わからなくなっている人も多いだろう。
 4000万人ものSNSフォロワーを誇る作家、ポッドキャスターのジェイ・シェティは、僧侶となるべく修行を重ねた経験をもとに、自分らしく生きるためのメソッドを紹介し、世界中から熱狂的な支持を得ている。
 世界30カ国以上で刊行され、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー1位ともなり、8月に日本語版が刊行されたシェティの著書、『モンク思考』。
 今回、日本人にとって本書はどのような価値をもつ本なのか、日本ヨーガ瞑想協会会長の綿本彰氏に、話を聞いた。
 なんでも思いどおりになる時代
 私たちは、目の前で起きている現実を受け止めることが苦手になっています。
 自然とともに生きていた数千年前ならば、雨が降れば狩りを休み、太陽が沈めば寝る支度をするなど、自然の摂理に従って生きていたでしょう。
 文明が発展しても、まだスマホのなかった昭和の時代には、人と会うにもよほどきちんと段取りを決めておかなければなりませんでした。
 それから急速に世の中は便利になり、なんでも思いどおりになる、いわば「環境が欲望を吸収してくれる」時代になりました。コンビニに行けば、世界各国のお弁当やデザート、文房具から下着類まで、数百年前の王様ですら手に入らなかったハイクオリティーのものが、低価格でいつでも誰でも気軽に手に入れることができます。
 こういったコンビニ(便利)な環境によって、私たちは「お金さえ出せば自分の思いどおりになる」という価値観になってきていて、この価値観が、私たちの心を貧しくしてしまっているように感じています。
 新入社員がすぐに会社を辞めてしまうという話が当たり前に聞かれるようになりましたが、私たちの「苦痛に対する耐性」は、過去最低の状態になっているように思います。自分の思いどおりにならないことに対して、不幸なくらいにキャパシティーが低下してきているかもしれないのです。
 自然の中、村の中で生きていれば、1人ひとりの思いどおりになることのほうが少なく、不合理なこともある中で、それぞれが折り合いをつけながら生きていたはずです。
 その環境の中で、人々は「お互いさま」「おかげさま」と心と心で支え合い、「あの人があのときに支えてくれたから、今回は全力で助けてあげよう」と、自然に相手を思いやるような「人情の循環」があったかと思うのです。
 しかし今では、人情に代わって法律やルール、サービスが整備されたため、いろいろなことが「思いどおりになってしかるべき」という感覚の人が増えています。
 もちろん今の社会において、ルールやサービスは不可欠ですが、それらが人の心と心のつながりから生み出される「ありがたいもの」ではなく、「当然の権利」としてとらえる感覚を生み出しているのも否めないのです。
 「私のこの権利は守られてしかるべきである」という感覚で、ちょっとしたことでも相手を責めたり訴えたりするようになり、相手の立場や気持ちを推し量り、思いやり、尊重するという気持ちが希薄になり、心がすさみやすくなってしまっているのです。
 同時に、自然の驚異や不合理極まりない要素を取り除こうとする、強い使命感や信念、生きがいといったものを見いだしにくくもなり、これが「苦痛耐性」を低くしている大きな要因になっている気がします。
 その結果、こんなにも便利な世の中であるにもかかわらず、自死を選ぶ人は後を絶ちません。これは、構造的な問題ととらえても過言ではないと私は考えています。
 みんなで共有する「必要性」の消失
 こういった深刻な問題構造は、「快適に生きるためのインフラを作る」という時代においては存在しませんでした。先人たちは、不合理な君主に悩まされることのない、安定した生活を築けるように、懸命になって文明を切り拓き、命をかけて平和な状況を作り上げてくれました。
 そしておそらく、その時代には「必要性の共有」がありました。たとえば、日本の高度経済成長期には、一致団結してこの目標を乗り越えよう、みんなではい上がって、もっと生活をよくしようというモチベーションが共有されていました。
 企業においても、上司が「お前はこうしろ!」と言えば、みんながその必要性を共有していますから、歯を食いしばって頑張っていたわけです。
 それが一定の成果を得て、今では絶対に必要だと強く感じる目標を持ち続けることが難しくなり、それを共有する意識も希薄になっています。
 安全が担保される世の中になり、快楽はコンビニなどで手軽に買えるようになり、上司から叱責されると、なぜそんなに頑張らなければいけないのか、別に自分でなくてもよいのではと思ってしまうようになってきたのです。
 「多様性の時代」といわれますが、この考え方は、これからの時代を生き抜く私たちにとって、とても重要な指針を指し示してくれていると思います。しかし同時にこの言葉が、それぞれの都合のいいように利用される危険性も否めないかと思っています。
 1人ひとりが自分の生き方を選び、自分のスタイルや能力を使って生きる道を探せる時代。
 しかしその一方で、「多様性」という言葉を使うことで、相手の多様性、つまり価値観や考え方の違いを認めるのではなく、自分の価値観や考え方ばかりを主張し、理解してもらうことだけに比重が置かれてしまう側面があるのも確かです。
 共通の必要性は見つけづらく、個々人が法やルールに保護された状態で、好き放題に自分の主張をする。時代の曲がり角に来ているともいえます。
 「今、この瞬間」をどう生きるか?
 世界が変化するスピードは、人が快適に生きていけるスピードを超えていると思います。インターネットを通じて世界規模で瞬時に情報が共有され、さらに文明を発達させることが可能な時代でもあります。
 急激な変化についていけない企業は、コロナ禍においては、「コロナ前」を取り戻そうという感覚で動きはじめました。しかしそういった姿勢では、時代の波に取り残されるばかりです。「これまではこうだったから」という点にとらわれているからです。
 これからやってくる劇速時代に適応していくには、「今この瞬間」を起点にして状況を受け止め、「さて、今をどうするか」を都度考える必要に迫られているのではないでしょうか。そしてこの考え方こそが、実は、瞑想の本質でもあります。
 その瞬間ごとに、今という現実を、なんの先入観もなくただ感じていく。そしてその現実の中で、今、自分を含む全体にどう貢献できるかを感じとっていく。そこに共通の価値観、危機感、目的意識が生まれ、目まぐるしく移り変わる環境の中で、チームとしてやっていける時代が来るのではないでしょうか。
 国連が掲げるSDGsは、自己利益だけではなく、人々に貢献し、循環させるという発想で企業活動をすることを提示しています。
 目まぐるしく移り変わる時の流れの中で、どんな役割を担って社会に貢献し、どう存続していくのかが、企業のみならず個人単位でも、そして個人のみならず、企業全体として取り組むことが問われているわけです。
 そこから、自分たちがなにをやるべきかという強い使命感を持つ。それが本書のテーマである『モンク・マインド』です。
 モンク・マインドとは、直訳すると「僧侶の考え方」ですが、その対照にあるのが、モンキー・マインドです。
 たった3秒さえもとどまれない脳
 瞑想をはじめるとよくわかりますが、人はたった3秒で何かを考えはじめてしまいます。
 呼吸を意識しようと思った端から、「今日あんな会議があった」と未来の出来事にのめり込んでゆく。そしてそのすぐ後に「あのときの上司の発言には腹が立ったな」と思い出したところで、今度は、怒りの映像なんかが連想されて出てきたりするわけです。
 こうして、サルのように目まぐるしく動き回り、どんどん連想していく心の状態を、モンキー・マインドといいます。象徴的なのは、それが自分の安全や自己利益などを重視する感覚の延長線上に現れるということです。
 『モンク思考』のサブタイトルは「自分に集中する技術」ですが、いざ集中しようとすると、今の自分に必要ではない思考がどんどんわき起こってくるのがわかります。それは、「あれが欲しい」「これは嫌だ」と思っているエゴや欲求から芽生えて、連想されていくものなのです。
 私たちがモンキー・マインドでいる、つまり、自分の快楽や都合を考えるというエゴイスティックな欲望の連鎖の延長上に、今の社会があります。これまではそれが必要な時代だったと思いますが、一定の安全と快適が確保された今、従来のやり方では太刀打ちできない状況に直面していることは先に触れたとおりです。自分の、そして自社の利益を上げることだけにとらわれていると、時の流れにすぐに取り残されてしまうという時代。
 そんな状況を打開し、次の時代を切り拓いていくために必要な考え方が、本書で「モンク・マインド」として紹介されている僧侶的な心なのです。
 私たちは、自分1人ではなく、いろんな人のおかげで成り立っています。そのつながりを感じて感謝し、ただお返ししたいという気持ちが自然に湧き起こり、それがシンプルに循環していく。自分の利益だけではなく、その瞬間、自分たちの置かれた状況を感じ取り、社会に対して自分になにができるのかを考えるという心です。
 相手のことだけを考えて自己犠牲に走るのではなく、自分も相手も同じぐらい大事に考え、全体にとって有益な行動をするという発想ですから、エゴの連鎖が止まり、心が穏やかに整うのです。モンク・マインドは、これからの世界には急務でしょう。
 本質をおさえた多角的なメソッド
 『モンク思考』では、このモンク・マインドを非常にうまくメソッド化して、あらゆる角度から理解できるよう、波状的に網羅しているところが素晴らしいと思います。
 私自身、著者のジェイ・シェティさんのように、インドの僧院アシュラムに入って修行に励んだ経験があります。物事の真理や道理など、本質的なことを、師や先輩から学ぶわけですが、本書のようなわかりやすい方法は、そこでは到底教えてはもらえません。
 ほんの一例ですが、シェティさんは、「あなたは何にいちばん多くの時間を使っていますか?」「本当に大切なことに時間を使っていますか?」といった問いについて、ノートに書き出してみるという方法を紹介しています。
 こういったことは、アシュラムでは、祈りや奉仕、食事、所作など「日々の修行」という形で何年もかけて教え込まれます。でも、そんな修行を今日からやりなさいと言われても、一般のみなさんは興味を持ちませんよね。
 そういった、アシュラムでは日々の所作を通して仕込まれるようなことを、現代人になじみのある、わかりやすい「メソッド」として丁寧に書かれていますから、ハンドブックとしても使える1冊になっています。
 特に呼吸瞑想は、ビジネスパーソンにとって取り入れやすいでしょう。呼吸を意識することで呼吸そのものの持つ精神安定作用が付加され、いろんな考え方が遮断されることによって落ち着いてくるというものです。
 瞑想は思考力を高めます。それは、自分が今なにを感じているのかに気づくことによって、自分の本来の思考を阻害しているもの、邪魔しているものをそぎ落とす働きがあるからです。
 本書にも書かれていますが、瞑想は、心の余分なものを「手放す」という作用をもたらしてくれるのです。
 「手放す」ことで思考がクリアになる
 その人本来の思考力やクリエーティビティーがあっても、心が目先のいろいろなものにとらわれてしまうと、それが見えない状態になってしまいます。
 食べ物でいう、素材本来の味を忘れてしまうようなものですね。濃い味付けのものを食べれば食べるほど、本来の味がその濃い味に埋もれ、わからなくなってしまうのです。
 瞑想とは、心が動かない状態であるといわれますが、だからこそ瞑想をすることによって、なぜ心が動いてしまうのかがよくわかるようになります。先入観やしがらみ、過去の考え方にとらわれて、それが自分本来の思考や創造性、イノベーションの邪魔をしていることが見えるようになるのです。
 今、どんなことが自分の心から湧き起こっているのかを純粋に感じ取り、キャッチする。それができるようになると、余分なものを手放すことができて、思考がクリアになります。
 物事の本質をつかめるようにもなります。表面を包むようなテクニカルなものではなく、より普遍的な感性へと近づいてゆくでしょう。
 欧米化した時代とはいえ、日本にはやはり仏教的な考え方が染みついているところがあります。アメリカでは、大谷翔平さんがスタジアムでごみを拾うだけで大ニュースになりますが、ごみを拾って持ち帰るというのは、多くの日本人がやっていることですよね。
 日本人が根底に持っている「お互いさま」「おかげさま」のスピリットはまだ残っているのです。
 かつては「キモチ」でやられていたことを、無機質な「ルール」に置き換えたり、物質社会が便利になればなるほど、取り繕えば取り繕うほど、本質は見えなくなりますが、その中で、アシュラムの僧侶と、物欲的な世界で生きる人たちをつなぎ、乾いた心をどう潤すことができるのかという本質を伝えているのが『モンク思考』です。
 成功することには興味はあるけど、修行はしたくない、でも心の安定やセラピーなどで、病んだ心を立て直してみたいという方には、ぜひ手に取ってみていただきたい1冊です。
(構成:泉美木蘭)」
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モンク思考―自分に集中する技術