🚱8〉─1─大都会の超高齢限界集落。横浜。~No.33No.34No.35 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2019年2月21日 産経新聞「横浜の中心部に超高齢「限界集落」 高層化する簡宿
 火災があった簡易宿泊所「扇荘別館」=1月4日午前、横浜市中区寿町
 正月3が日が過ぎたばかりの1月4日朝、横浜市中区寿町の簡易宿泊所で火の手は上がった。鎮火直後、消防は「3人死亡」と発表したが、その日のうちに神奈川県警は「火事で亡くなったのは2人」と訂正。実は建物内の一室ではこれ以前に男性が孤独死し、当初、火災の犠牲者の1人に数えられていたのだ。日本三大寄せ場の一つとされる寿町を中心とする寿地区だが、いまは65歳以上が半数以上を占める超高齢地区に変貌し、身寄りのない人も多い。火災によって発見された遺体。悲劇は街の現実を物語っていた。
 火が出た簡易宿泊所「扇荘別館」は、地上10階建ての鉄筋コンクリート製ビルだった。一見、普通のマンション然とした建物だが、中は広さ数畳の部屋で仕切られ、利用者は共同のトイレ、炊事場を使用することになっている。横浜市の担当者によると、寿町とその周辺約6千平方メートルの範囲を意味する寿地区には、こうした簡易宿泊所が昨年11月時点で新旧合わせて121軒営業しているという。
 かつての寄せ場
 寿地区は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の接収が解除された後、この地に置かれた職業安定所を取り囲むように簡易宿泊所が建設され、その原型ができたといわれている。同じように日雇い労働者の宿が林立し、東京都の台東区荒川区にまたがる山谷地区、大阪市西成区のあいりん地区と並んで、いつの頃からか日本三大寄せ場の一つとして数えられるようになった。
 過去にさまざまな事情を抱えて生きる人も少なくなく、ほかの2地区と同様、治安の悪さが取り沙汰されてきた。「昔は制服で寿町を歩くと男たちに囲まれ、建物の上からモノを投げられることもあった」と述懐するのは神奈川県警のOBだ。寿町内に設置される交番の窓は、ガラスではすぐに割られてしまうため、アクリルでできており、内側から鍵がかかるようになっている。冬は路上のそこかしこで、ストーブ代わりにたき火が行われていた。
 福祉の街に変貌
 横浜で福祉活動に尽力した男性が昭和58年に発表した著書の中には、40年代半ばの驚くべき回想が収録されている。当時、街の住人は肉体労働に汗し、夕方になれば懐を暖めて戻ってきた。寿地区ではそうした人々を襲って金品を奪い取る「マグロ」と呼ばれる集団強盗が横行していたというのだ。
 自治会の熱心な活動によって犯行がやむまで、「このような事件は、一夜に二十件は起きていたのである」(中田志郎氏著『はだかのデラシネ』より)という。裸一貫の労働者が暮らす無法地帯だったのだ。
そんな街の様子が変わっていくのは、昭和末期から平成初期にかけてのバブル景気が、崩壊してからだと市担当者は話す。不況で仕事が減っただけでなく、住人自身が年を取り、働くのもままならなくなったからだ。「日雇い労働者の街」が行き着いた先は「福祉の街」だった。
 生活保護が95%超
 内閣府がまとめた平成30年版の「高齢社会白書」によると、65歳以上人口が全体に占める「高齢化率」は全国平均で27・7パーセントだった。対して、市が昨年11月に調査した寿地区の住人の数は5716人で、うち65歳以上は3164人。高齢化率はきっちり2倍の55・4パーセントに達している。その高齢者の中で、生活保護を受給しているのは3026人で、95・6パーセントを占めた。
 「生活保護が必要な65歳以上の単身者には、生活補助として、住宅補助とは別に月8万円が支給される。介護が必要な場合は介護補助も支給されるため、地区内には現在いくつもの介護サービス事業所が開業している」(市担当者)という。
 簡易宿泊所はおおむね、1泊1千~2千円台で利用することができ、山谷地区やあいりん地区では、外国人のバックパッカーが宿を求めることも増えているとされる
 孤独死も起きて
 一方の寿地区だが、地区内を歩くと、バリアフリーをうたう新しい簡易宿泊所が目につく。火災が起きた現場と同じようなマンションタイプで、市担当者は「高齢者向けに、高層階の簡易宿泊所が増えている点が、東京や大阪とは異なる」と指摘する。
 ただ、そうした「福祉の街」化が進み、行政や施設の管理人など関係者が心を配っても、3千人を大幅に超える高齢者全てに目を行き届かせるのは難しい。結果、冒頭のような孤独死も起きている。
 簡易宿泊所を利用する75歳の男性は、寿地区に来て3年目だといい、肉体労働者時代からこの街に身を置く「先輩」たちを念頭に「ここじゃ、新人みたいなもんだよ」と、残り少ない歯をみせて笑った。横浜という大都会に、ぽっかりと浮かび上がる「限界集落」は10年後、20年後、どんな姿を見せているのだろうか。
 【寄せ場
 もともとは、業者の配下にある手配師が日雇い就労者を募集する路上の労働取引の場を意味し、転じて、日雇い労働者たちが居住する地区を指すようになった。かつては、簡易宿泊所が「ドヤ」と呼ばれたことから、「ドヤ街」などとも呼ばれた。」
   ・   ・   ・   

 

🌁47〉─1─小中学校で外国籍の学童・学生が増えていく。No.218No.219No.220 

    ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2019年2月18日 朝日新聞「新入生49人のうち41人が外国籍 愛知の小学校
 c 朝日新聞 知立東小学校の入り口にあった「ようこそ知立東小学校へ」の看板にはポルトガル語が添えられていた=2017年1月10日、愛知県知立市
 愛知県知立市の市立知立東小学校で、新年度の新入生49人中41人が外国籍になる見込みになった。市は同校で日本語指導などを担当するサポート教員を2人増やすことを決めた。
 知立東小は、ブラジル人など外国人住民が多い知立団地内にあり、1月現在の在校生308人中212人(68・8%)が日本語指導が必要な外国籍児童。新年度は外国籍新入生が8割を超え、国籍は12カ国に及ぶ。新入生の日本人児童は8人で、初めて1桁になる。
 知立市では、不登校やいじめ対応のため、1日4時間勤務の臨時講師として教員免許を持つサポート教員が小・中全10校に1人ずつ配置されていて、知立東小のみ2人増えて3人態勢になる。新年度予算案に増員分を含めた12人分の人件費2857万円を計上した。(小西正人)
   ・   ・   ・   
 外国人移民・難民が増えれば、その子供達はネズミ算的に急増する。
 外国籍学童・学生が多数になれば、学校での国語は日本国語ではなく外国語となる。
 日本の文化も、日本民族の文化ではなく外国の文化になる。
   ・   ・   ・  
 日本人の、男性の精子は劣化し、女性の卵子は老化し、生殖機能は退化し、繁殖能力の衰退している。
 生物界の原則として、生殖機能が退化して繁殖能力が衰退した種は死滅・絶滅する。
   ・   ・   ・   
 外国人移民・難民(主に渡来系中国人)が増加すれば、繁殖能力が旺盛な外来種外国系日本人が多数派となり、繁殖能力が衰退した在来種日本民族日本人は少数派となる。
   ・   ・   ・   

 日本民族日本人は、南方系海洋民・西方系草原の民・北方系森林の民が日本列島で出会い乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族である。

 最も影響を与えているのが、揚子江文明の南方系長江流域の民(現・少数民族)である。

 日本民族日本人は、単一民族ではないし、純血種ではない。

 中国人(現・漢族)と朝鮮人の祖先は、西方系草原の民であり、北方系黄河流域の民であった。

 日本人とは、日本民族ではなく、帰化人や渡来人に関係なく日本列島に住む全ての人間の事を指す。

 

⛲33〉─1─人生100年時代の超老老介護の悲劇。介護疲れの殺人。~No.203No.204No.205 ⑲ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2019年2月18日 産経新聞「人生100年時代に「超老老介護」の悲劇
 70代の妻の首をネクタイで絞めて殺害しようとしたとして、殺人未遂罪に問われた夫(77)に対する裁判員裁判が平成31年1月、大阪地裁で開かれた。妻は認知症で、「老老介護」の末の思い詰めていたといい、地裁は「経緯は十分に酌むべき」として懲役2年6月、執行猶予4年(求刑懲役4年)を言い渡した。「人生100年時代」に突入しようとする中、介護を受ける側も担う側も75歳以上という「超老老介護」世帯も3割を超えた。専門家は「老老介護世帯が第三者に助けを求められる仕組みが必要だ」と訴える。
便箋に「もうあかん」
 「お父さん何するの、やめて」
 公判資料などによると、事件は平成30年8月6日午後2時ごろ、大阪府門真市にあるUR団地の一室で起きた。夫が6畳和室で妻の首にネクタイを巻き付け、絞めた。
 その後、夫はベランダで自分の首を包丁で切りつけて自殺を図った。しばらくして妻は意識が戻り、ベランダで倒れていた夫を発見。妻は夫を助けてもらおうと、近所の人らに通報を呼びかけた。妻は、まぶたの鬱血(うっけつ)など2週間の軽傷を負った。
 公判で夫は起訴内容を全面的に認めた。検察側の冒頭陳述によると、25年にがんの手術をして以来、思い通りに体を動かせなくなったが、その2年後、妻が認知症になった。介護を続けていたが、日ごろから「つらい」「もうあかん」などと、便箋(びんせん)やノートにつづっていた。
 「2人とも持病がいっぱいある。ぼけたらみじめ。一緒に責任を果たす。1人になっても元気でがんばってよ」
 長女に宛てた「遺書」も見つかった。
「超老老介護」3割も
 被害者の妻は捜査員に複雑な心情を述べていた。
 「お父さんは精神的に思い詰めていたかもしれません。お父さんを怖いと思います。しかし、お父さんがいなくて寂しいし、家に帰ってきてほしい」
 迎えた判決公判。地裁は「夫に第三者の支援を十分検討する知識や体力があったとはうかがえない。ほかの選択肢を考えられず、思い詰めて犯行に至った」と指摘。事件に至る経緯は十分酌むべきとした上で「犯情は重いとはいえない」と述べた。執行猶予付きの判決は、老老介護の苦境を考慮した地裁判断だった。
老老介護は年々増え、さらに“高齢化”もしている。
 厚生労働省が28年に実施した国民生活基礎調査によると、介護する人とされる人が同居する世帯のうち、65歳以上同士の「老老介護」世帯は54・7%と、過去最多を記録。両者とも75歳以上という「超老老介護」世帯は初めて3割を超えた。
「1対1の介護関係避けよ」
 介護問題に詳しい淑徳大の結城康博教授(社会福祉学)によると、介護殺人の加害者に多いのは、献身的に介護を続けた人▽外部のサービスを利用するのが不得手な人▽介護を仕事のようにとらえる人-という。
 さらに、男性は女性よりも他者を頼ることにためらいがちで、外部のサービスを利用したくないと考える人も少なくないという。今回の事件でも判決は、夫が第三者の支援を受けるのが難しかったと指摘した。
 結城教授は「一人で抱え込んだ末に手をかけるケースが目立つ。介護者-被介護者という1対1の関係に陥らないことが重要」と強調。「介護カフェなど、同じような悩みを持つ人が集まって情報交換するような場はすでにある。次はそうしたサービスをより身近に利用してもらえる仕掛けを考える必要がある」と訴えている。
若若介護も
 問題は老老介護だけではない。
 シニア女性誌を発行する「ハルメク」(東京)の生きかた上手研究所、梅津順江(ゆきえ)さんは、「高齢者でない世代が介護する人とされる人になる『若若介護』がこれからの課題になる」とする。
 梅津さんによると、若くして認知症を発症した場合、体は自由に動くため、介護する側の負担はより大きくなる。体が思い通りにならないいらだちからか、介護する人に不遜な態度をとることもあるという。さらに、介護施設が高齢者以外に対応していないケースもあるなど、課題は多いと指摘する。
 梅津さんは「若若介護は先が見通せず、絶望感にさいなまれがち。事例としてはさほど多くないかもしれないが、遅かれ早かれ、深刻な問題になる可能性をはらむ」と警鐘を鳴らす。」


   ・   ・   ・   

🌅17〉18〉─1─無宗教墓無用論。日本の伝統では、大多数の日本人は墓を持っていなかった。~No.76No.77No.78No.79No.80No.81 

  ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  

 2019年2月14日 msnニュース ハーバービジネスオンライン「 次の時代の価値観は「墓は要らない」「墓には入りたくない」
 俺は若い頃から、個人の考えとして「墓は要らない」「墓には入りたくない」という考えを持っていた。墓に入ること自体にも興味がないが、何よりも墓があることで次の世代に墓参りや管理をしてもらわねばならないことが嫌だからだ。それなりの労力と維持費がかかるのだから、次の世代のカネと時間を浪費したくない、というわけだ。
 親にも若い頃からそう伝えている。「お前は非常識なことを……そういうものなんだから」といつも返されていた。がしかし、最近は認めているようだ。実際に墓を持たない人も増えてきたからだろう。
 ◆伝統的・当たり前と思われているものを疑え
 伝統的とか当たり前とか思われているものについて「本当にそうなのか?」と考えることがよくある。俺の場合、その判断基準を明治初期以前の時代と照らしてみる。大量流通・大量生産・大量消費の社会になる前と比べて考えるのだ。
 例えば、正月に誰もが年賀状をたくさんやりとりする。これは本当に“伝統的”で“当たり前”のことなのか?
 7世紀頃から年賀状らしきものが生まれているが、それは宮中や権力者や富裕層が中心だった。しかもそれは返信が半年後といった例もあるようで、のんびりしたものだったようだ。
 庶民に手紙が普及したのは江戸の飛脚制度から。それでも正月に届くように、何十枚も何百枚も書いて送っていたわけではない。手作りの和紙がそんなに大量生産できるわけないし、生身の人間が走って日本の隅々まで手紙を届けていたということを考えれば、大量に出すのは無理だったことが容易に想像できる。
 庶民に年賀状が定着するのは明治20年過ぎだ。ということは、古い伝統でもなんでもない。年賀状には、コスト、手間、意味合い、その時期だけ輸送量が急増して配達員が必要になるなど、経済合理性も環境合理性もない。しかも、プリンターで印刷した年賀状には、俺はセンスも意味も見いだせない。だから年賀状を書かなくなった。もう30年になる。
 ◆歴史の中では、墓に入ることが“当たり前”ではなかった
 墓も同じだ。歴史の中で、すべての人が墓に入ってきたわけではない。よく考えればわかることだ。同じ東アジアでも、火葬して川や海に流していた例もあるし、屍をそのまま川に流す水葬とか、木々の上で風化させる風葬もある。それを不衛生とか野蛮とか可哀想と思うだろうか? 生態系の循環や食物連鎖で考えると、むしろ理にかなっている。
 日本では、墓に石塔を立てるようになったのは江戸時代以降。それ以前は各地によって違ったが、土葬が中心で、火葬の地域でも石塔を立てなかった。そのため墓参りの習慣もなかった。沖縄の一部では、海の岩場や洞窟で野にさらす「風葬」もあった。墓に入ることは、伝統でも、当たり前でも、常識でもない。
 田畑の後背地にある高台に墓を見かけることがよくある。現代では土葬ではないのだろうが、本来の自然の循環からすれば、合理的な場所に埋葬されている。違う生き物たちの肥やしとなって、自らの田畑を見渡せる永遠の循環に身を委ねるなんて、素敵じゃないか。
 俺も、死んだら自分の田んぼに埋めてほしいと思うことがあるから、納得がゆく。だが実際は、今の日本ではそうもいかない。だから焼いて骨を海に撒いてもらえばいいし、生前にその費用だけを誰かに託して死ねたら最高だ。
 人の体は自然の中の循環物だから、すべてを自然に戻すのが本当は当たり前のこと。土に触れる暮らしをしていると、不自然と自然の見分けがつくようになる。裏返せば、自然の摂理から離れるほど人は不自然な方向に向かう。
 江戸期に墓の概念が生まれたのは、一部の人々が兵農分離で土から離れたから。不自然を不自然と感じなくなる過程で形成されたであろうことが想像できる。権力者や富裕者が大きな墓に入りたがるのも、土や自然の摂理から離れた、不自然な愚かさに気づかなくなるからだろう。
 ◆人間だけが自然の循環の外にいていいわけがない
 そんなこんなで「墓はいらない」ということを自分のブログに書いたら、大手企業を辞めて京都府綾部市に移住して田畑を耕している、平田佳宏さんが次のような反応をしてくださった。
「亡骸はそのまま野原に晒して鳥や獣の餌にして、虫や微生物の手で土に還してもらいたい。そうして自然の循環の中に入りたい。子や孫やそれに続く世代に墓の守りをさせたくない。
 人間以外の生き物は墓など作ることはないが、だからといって成仏できないなんてありえない。これまで何億年と生命は弔われることなく自然に還って循環してきたのだ。
 昔は人が亡くなると川の上流の方に土葬した。そうすると下流の田畑や森がよく育ったのだと聞いた。きちんと土に還るというのはそういうことだ。
 人間だけが自然の循環の外にいていいわけがない。命を奪って生きてきたのなら、死んだのちは我が身をほかの生き物のために提供することが務めであり、自然の摂理だと思う」
 ◆自然回帰思考と低収入化で「墓を守る」は薄れてゆく
 人は二度死ぬという。一度目はその人が死んだとき、二度目はその人を覚えている人が死んだとき。ということは、思い出してくれることが墓参り以上の弔いだ。思い出してくれる人がいなくなって、誰も俺の存在を知らないのに墓の世話をさせるなんて迷惑なだけだ。
 本来、死の弔いは金をかけずともできたこと。すべて商業主義・消費主義に乗っ取られただけだ。日本消費者協会の調べによると、葬儀にかかる金は全国平均で195万円。これではお金がある人しか「ちゃんとした」葬儀はできない。今後も格差が解消されないのなら、逝った人を送るのがどんどん厳しくなる。
 しかし落胆しないでほしい。通夜、告別式、読経を省略して、火葬するだけなら十数万でできる。生活保護受給者なら自治体が最大で20万円まで補助する法律になっているので、負担はない。逝く側も送る側も、ちゃんとした葬儀なんてそもそもしなくていいじゃないか。
 政治と経済の愚行で格差が広がり、墓を買うとどころか、親や先祖の墓を維持できない人たちが増えている。墓や霊園など、何百年後にも存在しているだろうか。
 歴史の遺構物には何千年というものだってあるのだから、残っているものもあるだろう。しかしほとんどは、天変地異や環境破壊、戦争や開発などで失われることもあるだろうし、経済的に維持ができずに撤去することもあるだろう。おそらく、そのほとんどが残らない。いずれ結局は自然に還るのだ。
「墓に入りたい」「墓を大切にしたい」という人もいて当然だし、素晴らしいことだ。しかし、「生まれた場所で育ち、生き、死んでゆく」という時代は、ローカルに一生を生きる以外は先細りだ。遠い場所に墓があっては、時間的にも経済的にも墓を守ることは難しくなる。
 一方で、都心には墓を置く場所がないゆえに、郊外の山を削って大霊園を作る。それは環境破壊で、自然循環を壊し、麓に土砂災害を誘発することでもある。遠くの墓を住まいの近くに移すのも良いが、それにも相当の金がかかる。ゆえに、墓じまいも増えているし、無縁墓地も増えている。
 そんな矛盾に満ちた時代にあって、現世を充実して生き切るために「墓は要らない」「墓には入りたくない」と思う人は増え、次の時代の価値観になっていくに違いない。
 そして、俺ら貧乏人にとっては、そう考えたほうが都合がいい。
 【たまTSUKI物語 第13回】
 <文/髙坂勝>
 1970年生まれ。30歳で大手企業を退社、1人で営む小さなオーガニックバーを開店。今年3月に閉店し、現在は千葉県匝瑳市で「脱会社・脱消費・脱東京」をテーマに、さまざまな試みを行っている。著書に『次の時代を、先に生きる~まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ』(ワニブックス)など」
・・・・

 

 

🧣29〉─9─少子高齢化による人口激減で急増する児童への虐待・虐待殺人事件。~No.113 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本人の心の奥底に、自分より弱い者をイジメ・虐待する喜びという暗い衝動が秘められている。 
   ・   ・   ・   
 2019年2月7日 産経新聞「虐待で児相通告8万人超 30年、警察庁の犯罪情勢
 千葉の小4女児死亡事件で会見する柏児童相談所の二瓶一嗣所長(右)と千葉県健康福祉部児童家庭課虐待防止対策室の始関曜子室長=5日、千葉県庁(桐山弘太撮影)
 警察庁は7日、平成30年の犯罪情勢(件数などは暫定値)を公表した。虐待を受けた疑いがあるとして児童相談所(児相)に通告した18歳未満の子供は前年比22・4%増の8万104人となり、統計のある16年以降初めて8万人を超えた。刑法犯全体の認知件数は81万7445件で、戦後最少を更新した。
 児童虐待は、今年1月に千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅浴室で死亡し、両親が傷害容疑で相次いで逮捕されるなど後を絶たない。
 通告児童数は過去5年間で約2・8倍に増加。30年分の内訳は、暴言などの心理的虐待が5万7326人と7割を占めた。暴力による身体的虐待が1万4821人、ネグレクト(育児放棄)などの怠慢・拒否が7699人、性的虐待が258人で、いずれも前年を上回った。」
   ・   ・   ・   

🧣29〉─8─野田市小学4年生女子生徒虐待死事件。親による我が子への虐待・虐待死を止められない。。~No.110No.111No.112 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 所詮、他人の子供。
 現代日本において、子供は国の宝ではなく、産んだ親の子供。
 
 子供に対する親の親権を守ろうとする一部の人権派は、戦前の反省から、家庭に国が干渉し警察が入り込む事に反対する。
   ・   ・   ・   
 忘れやすい日本人。
   ・   ・   ・   
 2019年2月5日05:00 産経新聞「【主張】子供への虐待 悲劇の連鎖を断つために
 千葉県野田市の小学4年、10歳の栗原心愛(みあ)さんが死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件で、野田市教育委員会に非難が殺到している。
 心愛さんは平成29年11月、当時通っていた野田市立小学校のアンケートに「お父さんにぼう力を受けています」「先生、どうにかできませんか」などと実名で訴えていた。
 翌年1月、父親が心愛さんの同意書を持参してアンケートの開示を迫り、市教委は「威圧的な態度に恐怖を感じた」としてコピーを渡した。アンケートには「ひみつをまもります」と明記していた。学校や市教委は心愛さんの信頼を裏切り、魂の叫びを加害者側に流したのだ。批判は当然である。
さらに悪いのは、その後の放置である。心愛さんは直後に市内の別の小学校に転校し、ここでの同様のアンケートには虐待を訴えなかった。父親に恐怖を覚えた市教委はこの変化に、その影響と大人への失望を想像すべきだった。
 心愛さんを一時保護しながら、むざむざと両親の元に帰した柏児童相談所の不作為も同様に罪は重い。彼女を救う機会は、一度ならずあったのだ。
 ただし学校や市教委、児相をいくら責めても根本的に何も変わらない。この悲痛な事件で明らかになったのは彼らの無力である。
 東京都目黒区で昨年3月、5歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが両親の虐待を受けて死亡した事件を機に、厚生労働省のワーキンググループは児相に常勤弁護士の配置を促した。警察との情報共有、連携強化も求めている。
 児相には「支援」と「介入」という相反する機能があるが、児童福祉司の多くは介入の経験も知見も乏しい。それは学校や教委も同様である。
 日本弁護士連合会はかねて「弁護士は供給過剰で就職難」などと訴えている。そうであるなら虐待の問題に、もっと主体的に取り組んではどうか。介入には、法的な専門知識が必要である。威圧的な要求に対峙(たいじ)するため、退職警察官の採用も有効だろう。
 父親にアンケートのコピーを渡した市教委指導課の課長は「守れる命を守れなかったと思うと取り返しのつかないことをしてしまった」と頭を下げた。後悔はあまりに遅いが、彼一人の責任ではない。悲劇の連鎖を断つためのシステムの再構築が問われている。」
   ・   ・   ・   
 2月5日20:14 msnニュース AERAdot「野田市虐待死 栗原心愛ちゃんと船戸結愛ちゃん事件に共通する父親の過剰な家族依存
 千葉県野田市で小学4年生の栗原心愛さん(10)が、父親の栗原勇一郎容疑者(41)による虐待で死亡した事件で5日、千葉県柏児童相談所の二瓶一嗣所長が、千葉県庁で会見を開いた。
 心愛さんが勇一郎容疑者に「お父さんに叩かれたのはウソ」という手紙を書かされ、児童相談所の保護が解除されていたことを明らかにした。
 昨年3月、東京・目黒区で船戸結愛ちゃん(当時5歳)が虐待で亡くなった事件との共通点の多さを指摘するのは、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新書)などの著書があるルポライターの杉山春さんだ。一時保護から帰宅、遠方への転居、子どもの転校。その間に関係機関の判断や対応、引き継ぎにミスがあり、最悪の事態になってから表面化する。父親を含めて一家で転々とするかたちは「現代的だ」と分析する。
「男の人たちが仕事や社会な評価ではなく、家族に依存し、過剰なアイデンティティーを持ってしまい、外に向けて、立派な家族であることを装えなくなると、仕事を放り出してでも転居してしまう。これは新しい形だと感じます。日本の社会は特に男性たちに対して、存在を否定するようなマイナスの突き上げが強く、DVも虐待も顕在化しています。恥や屈辱といった感情を抑え込めず、自分の正しさを証明しようとすることで、暴力をふるい、困窮をし、転居、転職、転校を繰り返すようなケースは今後さらに増えるのではないでしょうか。このままでは子どもなど家族の中でも一番弱いところに被害が出てしまうと危惧しています。これらの事件は社会の縮図のように感じます」(杉山さん)
 社会から排除され、存在を否定されたと感じた加害者が、子どもの教育や将来のためにと“しつけ”に執着したり、子どもに関する問題には特に威圧的な態度で公的機関に乗り込んでくる。心愛さんの両親と学校、市教委の話し合いの場で、「訴訟を起こす」と学校の対応を批判。担当課長は「大きな声で恫喝され、威圧的な態度に恐怖を感じ、強い要求に屈してしまった。その後、どのような影響が出るか、心にひっかかりながらも渡してしまった」と説明している。
「目黒の事件でも、傷害容疑で不起訴になったことを前面に出して父親は行政に強く出ました。今回の件も、日常的な話し合いの場で恫喝されながら『これは暴力だ』と冷静に判断し、対応できる教員がどれだけいたでしょうか。自分のアイデンティティーが揺るがされていることは、その人にとって生きるか死ぬかの問題であり、学校など公的機関への対応に非を見つけるとあらゆる手段を使い、全身全霊で糾弾しようとします。時間がたてば先鋭化する。すべての教師や公務員が、適切な訓練もないまま、暴力的に追い詰められながら、正義感を持って冷静に対応できるとは限りません。恐怖を感じ、あの親の子だからと諦めてしまう人もいます。必要なのは、暴力が起きている場所では、法律に則り、子どもの人権を第一にした、国家権力の行使です。訓練を受けていない教師や職員が矢面に立つ必要はない。しかし、その後、暴力親ときちんと向き合って、治療につなげ、社会に戻す仕組みも必要です。そういったDVや暴力への対応策が日本はまだまだ十分ではないと感じます」
 カナダでは、セルフ・エスティーム自尊感情)を揺るがされた人が抱えた怒りを取り除く加害者治療に取り組む。暴力行為が発生すると、スピーディーに裁判が行われ、治療命令が下され、児童相談所や女性センターと連携して動くという。(AERA dot.編集部・金城珠代)」
   ・   ・   ・   

🚱9〉─2─人口激減は東京一極集中で加速化して日本民族は消滅する。~No.39No.40No.41 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2019年2月3日 東洋経済オンライン「日本人は「人口減少とAI化」に立ち向かえるのか 東京一極集中のままでは少子化は止まらない
 印南 敦史
 c これから日本で何が起こるのでしょうか(写真:DNY59/iStock)
 日本ではこれから、経済や社会を根底から揺るがすような大きな変化が起ころうとしている――。『AI×人口減少 これから日本で何が起こるのか』(東洋経済新報社)の著者である中原圭介氏は、そう指摘している。
 具体的には「少子化による人口減少」という70~100年単位の長期的な波と、「AIによる自動化」という10~20年単位の中期的な波、この2つの大波が日本に押し寄せようとしているというのである。
 少子化問題は「深刻で静かなる危機」
 まずは「少子化による人口減少」だが、少子化が進む要因としては、主に次の6つがあるとしている。少し長いが、重要なことなので引用してみよう。

 少子化の要因① 生き方の多様化
 1986年に施行された男女雇用機会均等法によって、女性の社会進出が進展したため、経済的に自立した女性が増え、結婚や出産を前提にする人生が当たり前ではなくなった。
 少子化の要因② 高学歴化
 要因①とも関連するが、女性の社会進出に伴い、女性の大学進学率が男性と比べても上昇の一途を辿ってきたため、女性の結婚率の低下や結婚年齢の上昇を招いた。
 少子化の要因③ 経済的な制約
 1997年の金融システム危機以降、労働者の賃金が伸びなくなったばかりか、じりじりと下がり続けた。また、90年代以降に行われた一連の労働関連法改正の結果、非正規雇用者が増え続けたため、結婚適齢期で十分な収入を得ることができなくなった若い世代は結婚をためらってきた。
 少子化の要因④ 子育て環境の未整備
 主に大都市圏の問題として、保育所などの託児施設の数が不足しているため、働きたい女性が子どもを産むのを躊躇してきた。
 少子化の要因⑤ 子育て費用の増大
 デフレが20年以上続いていたにもかかわらず、教育費を中心に子育てに関する費用は高騰を続けてきた。そのため、負担の重荷から2人目、3人目の出産をためらう夫婦が増えてきた。
 少子化の要因⑥ 若い世代の東京圏への一極集中

 東京圏は若者にとって就職に有利な大学や就職したいと思う企業が多いため、長期にわたって地方の若者が東京圏へと吸い上げられてきた。ところが、東京圏は生活コストが高いうえに、労働時間が長い傾向があるため、若い世代の結婚率の低下、晩婚化率の上昇、出生率の低下に拍車をかけてきた。(26~27ページより)
 こうした要因を内包する少子化は、日本社会の持続可能性を危ぶませる最大の問題だということである。そして、最大の問題点は、政府の先送り体質にあるという。少子化の問題を「深刻で静かなる危機」と認識していたにもかかわらず、政府はそれらの課題を30年近くにわたって放置してきたということである。
 経済学者による常識が通用しない時代
 しかも、日本は人口が減少する社会。すなわち老いが進行する社会であるため、経済の低成長が今後も続くことは覚悟しなければならないという考え方だ。
 そしてもうひとつの変化は、「AIによる自動化」である。現時点においてAIは、生産性を引き上げてくれ、人手不足を解消する手段として歓迎されているだろう。
 とくに日本においては、目先の経済上のメリットが強調されるあまり、AIの普及がもたらす雇用への悪影響は軽視される傾向が強まっている。しかし現実的には、早くも2020年代半ばには、人余りが顕著になるというのだ。
 製造業に目を向けてみても、AIによって自動化された工場が増え続けていくことは必至。おそらく10年後には、大企業の一部の工場では完全自動化が現実となり、この流れに早く対応できなかった国々は製造業では負け組へと転落していくというのだ。
 ただし、本質的に見逃してはいけないのは、工場の完全自動化で生産性を高める最大の要因が人件費を必要としない点にあるということです。つまり、競争力を高めた国ほど雇用は減っていくという事実と向き合わなければなりません。(118ページより)
 もちろん同じことは、小売業にもあてはまる。例えばコンビニの店舗運営も、AIを備えたカメラやスマートフォン決済の普及によって大きく変わろうとしている。そして事務などの単純作業の分野においても、AIが効率化を促すことになる。
 それどころか、高度な知識を必要とする専門職であっても、この先ずっと盤石であるという保証はないという。その専門職の代表格は弁護士、公認会計士、税理士、弁理士などの、いわゆる「士業(サムライ業)」だが、そうした人々の業務でさえ、AIの普及によって大半が代替可能になっていくという流れは避けることができないというのだ。
 もちろん、「最強のエリート」である医師にしても同じ。高齢化率の高止まりが続いていくであろう社会において、医師の地位は将来も盤石であるように思える。しかし現実問題として、AIやロボットが医師の仕事の8割程度を代替できることが、アメリカでの実証実験などからすでに明らかになっているのである。
 これらはほんの一例にすぎないが、こんなところにも、従来の経済学者による常識的な考えが通用しない時代が訪れていることが確認できるということだ。
ほぼすべての経済学者は今でも、技術革新(イノベーション)が経済を活性化させる最大の原動力になると信じています。技術革新により生産性が上がれば、経済の成長力が高まると同時に、雇用の増加や賃金の上昇が起こるだろうと考えているからです。(156ページより)
 確かに20世紀の世界であれば、新しい技術が新しい需要をもたらし、新しい雇用を生み出すことができた。20世紀以降の自動車・航空機・電気における技術革新(第2次産業革命)が莫大な産業集積を必要とし、大量の良質な雇用を生み出したことがいい例だ。しかし先の例を引き合いに出すまでもなく、今後は同じようにはいかない。
 これから国家や企業がしのぎを削ろうとしている技術革新は、これまでとはまったくプロセスの異なるものです。21世紀以降のIT、AI、ロボットによる技術革新(第4次産業革命)は、コストを抑えるために自動化を最大限にまで推し進め、これまでの産業集積や良質な雇用を破壊していくという性格を持っています。生産性が飛躍的に高まることで、経済の成長力が高まるというのはある程度は肯定できるものの、先ほど述べたように、資本家の取り分が圧倒的に増えるかたわらで、労働者の取り分は増えるどころかむしろ減ってしまうという好ましくない結果を生み出してしまうのです。(157~158ページより)
少子化対策に一石を投じるコマツの取り組み
 そして先に触れたとおり、日本が懸念すべき最大の問題は少子高齢化しかありえないと中原氏は断言する。少子高齢化が長期に及んでもたらす悪影響は、国の経済規模の縮小にとどまらず、社会保障費の膨張、赤字拡大による財政不安、防災・治安機能の低下など、われわれの生活水準の著しい劣化を招くことになるというのだ。
 だとすれば、少子化の大きな流れを緩和するためにはどうすればいいのだろうか? この問いに対して中原氏は、興味深い提案をしている。東京への一極集中がもたらす弊害については先ほど触れたが、その流れを逆転させるためには、「大企業の本社機能を地方へ分散する」しかないだろうと考えているというのである。
 大企業が地方で良質な雇用をつくる努力をすれば、それだけで効果的な少子化対策になり、若者の地方からの流出が緩和されることも期待できるというわけだ。そんなことが本当に可能なのかと思われる方もあろうが、それが机上の空論でないことを示すべく、中原氏はここで建設機械大手コマツ少子化対策への取り組みを紹介している。
 今や日本を代表するグローバル企業であるコマツは、国内の雇用をたいへん重視しているお手本のような企業です。同社の坂根正弘・相談役は2001年に社長に就任して以降、事業の選択と集中を進めアメリカのキャタピラーに匹敵する高収益体質をつくり上げた凄腕の経営者でありますが、その坂根氏が社長時代からコツコツと進めてきたのが、創業地である石川県への地元回帰を中心とした本社機能や工場の地方への分散であります。(203ページより)
 第一歩として2002年に、東京本社にあった部品調達本部を石川県の小松市に移転。次いで2007年には石川県金沢市茨城県ひたちなか市に新たな港湾工場をつくり、2011年には本社の教育研修組織と複数拠点に分散する研修施設を統合し、小松市に総合研修センターを開設。これまでの一連の地元回帰では、150人以上の社員が本社などから石川県に転勤していったという。
 少子化対策として大きな効果が
 ちなみにコマツのそうした取り組みに共感する中原氏は、2017年と2018年の2回にわたり、坂根氏にインタビューしている(東洋経済オンラインの記事では、2017年7月27日・28日、2018年9月11日・12日の4回におよびインタビューが掲載されている)。
 坂根氏は「なぜ本社機能を地方へ分散したのか」という私の素朴な問いに対して、「その本質的な動機は、この国の深刻な少子化問題を解決したいという思いにある」と強い使命感を持って答えています。コマツは1950年代に石川から東京に本社を移転し、その後は工場も輸出に有利な関東・関西に移していますが、多くの地方企業が同じような歴史を辿ったことによって、東京への過度な一極集中とそれに伴う少子化を加速させてきたという現実をしっかりと受け止めなければならないというのです。(205ページより)
 注目すべきは、コマツの本社機能の地方への分散が、少子化対策として大いに効果があったと認めることができる数字を残しているという事実だ。コマツのまとめたデータによれば、30歳以上の女性社員では東京本社の結婚率が50%であるのに対して石川が80%、結婚した女性社員の子どもの数が東京は0.9人であるのに対して石川は1.9人と、かけ合わせると子どもの数に3.4倍もの開きが出ているというのである(東京0.5×0.9=0.45:石川0.8×1.9=1.52→1.52÷0.45≒3.37)。
 坂根氏は地方回帰を進めてきた成果について、「女性社員の出生率が飛躍的に上がっている」だけでなく、「社員の生活が豊かになっている」「退職者の健康寿命が伸びている」などと述べたうえで、「代表的な地方出身企業であるコマツが先陣を切って地方への回帰で成功を収めれば、いずれは他の大企業も次々と回帰の道を辿ってくれるのではないか」という淡い期待も寄せています。坂根氏の思いを酌み上げるならば、コマツは日本の将来を憂い、強い使命感を持って経営にあたっているということなのです。(206~207ページより)
 現時点において、本社機能の一部を地方に移すという先進的な動きを実践している企業は限られている。しかしコマツの取り組みには、「少子化による人口減少」と「AIによる自動化」に立ち向かう企業のあり方のひとつが明示されているとは言えないだろうか。」


   ・   ・   ・