🚱8〉─1─大都会の超高齢限界集落。横浜。~No.33No.34No.35 

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 2019年2月21日 産経新聞「横浜の中心部に超高齢「限界集落」 高層化する簡宿
 火災があった簡易宿泊所「扇荘別館」=1月4日午前、横浜市中区寿町
 正月3が日が過ぎたばかりの1月4日朝、横浜市中区寿町の簡易宿泊所で火の手は上がった。鎮火直後、消防は「3人死亡」と発表したが、その日のうちに神奈川県警は「火事で亡くなったのは2人」と訂正。実は建物内の一室ではこれ以前に男性が孤独死し、当初、火災の犠牲者の1人に数えられていたのだ。日本三大寄せ場の一つとされる寿町を中心とする寿地区だが、いまは65歳以上が半数以上を占める超高齢地区に変貌し、身寄りのない人も多い。火災によって発見された遺体。悲劇は街の現実を物語っていた。
 火が出た簡易宿泊所「扇荘別館」は、地上10階建ての鉄筋コンクリート製ビルだった。一見、普通のマンション然とした建物だが、中は広さ数畳の部屋で仕切られ、利用者は共同のトイレ、炊事場を使用することになっている。横浜市の担当者によると、寿町とその周辺約6千平方メートルの範囲を意味する寿地区には、こうした簡易宿泊所が昨年11月時点で新旧合わせて121軒営業しているという。
 かつての寄せ場
 寿地区は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の接収が解除された後、この地に置かれた職業安定所を取り囲むように簡易宿泊所が建設され、その原型ができたといわれている。同じように日雇い労働者の宿が林立し、東京都の台東区荒川区にまたがる山谷地区、大阪市西成区のあいりん地区と並んで、いつの頃からか日本三大寄せ場の一つとして数えられるようになった。
 過去にさまざまな事情を抱えて生きる人も少なくなく、ほかの2地区と同様、治安の悪さが取り沙汰されてきた。「昔は制服で寿町を歩くと男たちに囲まれ、建物の上からモノを投げられることもあった」と述懐するのは神奈川県警のOBだ。寿町内に設置される交番の窓は、ガラスではすぐに割られてしまうため、アクリルでできており、内側から鍵がかかるようになっている。冬は路上のそこかしこで、ストーブ代わりにたき火が行われていた。
 福祉の街に変貌
 横浜で福祉活動に尽力した男性が昭和58年に発表した著書の中には、40年代半ばの驚くべき回想が収録されている。当時、街の住人は肉体労働に汗し、夕方になれば懐を暖めて戻ってきた。寿地区ではそうした人々を襲って金品を奪い取る「マグロ」と呼ばれる集団強盗が横行していたというのだ。
 自治会の熱心な活動によって犯行がやむまで、「このような事件は、一夜に二十件は起きていたのである」(中田志郎氏著『はだかのデラシネ』より)という。裸一貫の労働者が暮らす無法地帯だったのだ。
そんな街の様子が変わっていくのは、昭和末期から平成初期にかけてのバブル景気が、崩壊してからだと市担当者は話す。不況で仕事が減っただけでなく、住人自身が年を取り、働くのもままならなくなったからだ。「日雇い労働者の街」が行き着いた先は「福祉の街」だった。
 生活保護が95%超
 内閣府がまとめた平成30年版の「高齢社会白書」によると、65歳以上人口が全体に占める「高齢化率」は全国平均で27・7パーセントだった。対して、市が昨年11月に調査した寿地区の住人の数は5716人で、うち65歳以上は3164人。高齢化率はきっちり2倍の55・4パーセントに達している。その高齢者の中で、生活保護を受給しているのは3026人で、95・6パーセントを占めた。
 「生活保護が必要な65歳以上の単身者には、生活補助として、住宅補助とは別に月8万円が支給される。介護が必要な場合は介護補助も支給されるため、地区内には現在いくつもの介護サービス事業所が開業している」(市担当者)という。
 簡易宿泊所はおおむね、1泊1千~2千円台で利用することができ、山谷地区やあいりん地区では、外国人のバックパッカーが宿を求めることも増えているとされる
 孤独死も起きて
 一方の寿地区だが、地区内を歩くと、バリアフリーをうたう新しい簡易宿泊所が目につく。火災が起きた現場と同じようなマンションタイプで、市担当者は「高齢者向けに、高層階の簡易宿泊所が増えている点が、東京や大阪とは異なる」と指摘する。
 ただ、そうした「福祉の街」化が進み、行政や施設の管理人など関係者が心を配っても、3千人を大幅に超える高齢者全てに目を行き届かせるのは難しい。結果、冒頭のような孤独死も起きている。
 簡易宿泊所を利用する75歳の男性は、寿地区に来て3年目だといい、肉体労働者時代からこの街に身を置く「先輩」たちを念頭に「ここじゃ、新人みたいなもんだよ」と、残り少ない歯をみせて笑った。横浜という大都会に、ぽっかりと浮かび上がる「限界集落」は10年後、20年後、どんな姿を見せているのだろうか。
 【寄せ場
 もともとは、業者の配下にある手配師が日雇い就労者を募集する路上の労働取引の場を意味し、転じて、日雇い労働者たちが居住する地区を指すようになった。かつては、簡易宿泊所が「ドヤ」と呼ばれたことから、「ドヤ街」などとも呼ばれた。」
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