🚱7〉─3──人口激減に備えた電子政府による行政サービス。~No.30No.31No.32 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2019年2月26日 産経新聞「「電子政府」実現が急務 人口減で行政サービス停滞も  
 経済財政諮問会議で「電子政府」の推進を議論したのは、日本の行政手続きの電子化率が1割程度にとどまり、業務の効率化が進んでいないからだ。事態を放置すれば、少子化で人口減が加速し、自治体職員のなり手が不足する地方では、行政サービスが停滞する事態も想定される。人口減への対策としても、行政の電子化は急務だ。
 「人口減少や高齢化の中で行政サービスの質を維持していくためにも、仕事のやりかたを変える」。安倍首相は諮問会議で、こう強調した。
 民間でモノのインターネット(IoT)、人工知能(AI)などによる技術革新が進む中、日本の行政手続きは電子化が遅れている。
 国連経済社会局がオンラインサービスの質などを指標化した昨年7月の「世界電子政府ランキング」によると、日本は国連加盟国約190カ国中10位で、デンマーク、韓国などの後塵(こうじん)を拝した。政府の未来投資会議に昨年3月示された資料によると、全行政手続きのうち電子化されているものは12%で、転入・転出届など住民に身近なサービスの多くが電子化されていない。
 政府関係者が心配するのは、人口減で自治体の職員が不足することだ。総務省によると、平成29年4月の市町村職員数は135万4893人と、20年間で約1割減少。今後もこうした傾向が進み、住民サービスが不十分になる恐れがある。
 電子化では成功例も出ており、さいたま市では、保育所の入所申請を施設へ割り振る作業にAIを導入したところ、約1500時間かかっていた時間を数秒に短縮できた。こうした事例を広げるなどして、「利用者目線」(茂木敏充経済再生担当相)の改善策を進めていくことが重要だ。(山口暢彦、桑原雄尚)」


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🧣19〉─1─「バカ動画」というアルバイトテロ(バイトテロ)が日本の品位を下げ信用度を崩壊させる。~No.53No.54No.55 ⑯ 

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 中国人より酷い日本人。

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 してはいけない事を知るのが大人とされた。
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 自分の人生、一度きりの人生、如何にして楽しむか。
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 現代日本から、自己を律する、自分で責任を取るといった「恥と穢れの文化」は急速に消えつつある。
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 問題は、いろいろ理由が取り沙汰されているが、ハッキリしているのは現代日本人が昔の日本人に比べて道徳心が崩壊している事である。
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 つまり、人間として、大人として、やって良い事と悪い事がある、という一般常識の問題である。
 其処に、面白い、可笑しい、楽しい、SNSでウケる、は関係ない。
 問題は、人間性である。
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 社会に現れる出来事は、氷山の一角である。
 表に出ない出来事は、数百、数千、数万と存在する。
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 道徳心が低下している現代日本人には、中国人のマナーの悪さやルール違反を批判し、常識はずれた行動を嘲笑する資格はない。
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 2019年2月21日号 週刊新潮「日本人が失った『バカ店員動画』への溜息
 確かに、無軌道な若者の暴走は暴走は数多くの小説や映画で重要なモチーフになってきた。だが、ネット上に跋扈する『バカ店員動画』は、若気の至りと呼ぶには程度が低すぎやしないか。これが日本人から道徳が失われた末の流行病だとすれば、もはや溜息しか出てこない。
 たとえば、カラオケチェーン『ビッグエコー』のバックヤードでは、男性店員が両手に掴んだ鶏肉をグリグリと床に擦りつけ、そのままフライヤーに放り込んで唐揚げを作り始める。
 牛丼のでは、店員同士がお冷やに入れる氷り投げつけ合い、おたまを股間にあてがう素振り。
 『くら寿司』の場合は、板前が捌いたばかりの魚をゴミ箱へポイッと投げ捨てたかと思えば、まもなくゴミ箱を漁って魚を取り出し、素知らぬ顔で再びまな板に載せてみせた。
 さらに、2月10日に謝罪へと追い込まれた『バーミヤン』のケースでは、エプロン姿の店員が燃え盛る中華鍋に頭を突っ込み、口に咥えたタバコに火をつける。そして、鍋を振りながらプカーッと紫煙を吐き出すのである。
 いずれの動画も10秒ほどの短い内容で前後の経緯は不明だ。しかし、動画を目にした誰もが抱く感想は、『あんな店員が働いている店で絶対に食事などしたくない!』だろう。
 食中毒が続発した『毒餃子事件』や、便器を擦ったブラシでコップを洗う五つ星ホテルなど、職業倫理や衛生観念を無視したふるまいと聞いて頭を過るのは中国だったはず・・・。しかし、当の日本人が冒頭に示した有り様では、まさに目クソ鼻クソ。とても中国を笑えたものではない。
 まもなく平成が幕を閉じようとする折も折、なぜか氾濫し続ける『バカ店員動画』。そもそも、ネット上での悪ふざけ投稿が最初に取り沙汰されたのは2013年のことだった。
 ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が振り返る。
 『この年の夏は記録的な猛暑でした。そのせいで外出を控えていた学生たちが〝どうだ、面白いだろ?〟とツイッターに悪ノリ写真を載せて楽しむようになった。これが〝バカッター〟騒動の始まりです。彼らはツイッターを携帯メールと同じコミュニケーションの道具と考えていて、バカなツイッターを投稿するのはあくまでも仲間内のウケ狙い。それがネット上に拡散して大炎上するとは思いもしなかったはずです』
 スーパーに置かれたアイスクリーム用の大型冷凍庫に学生が寝そべったり、宅配ピザ店のアルバイトがピザ生地を自分の顔面にベッタリと張りつけたり──。
 と聞けば、当時の騒ぎを思い出されるだろうか
 巻き添えを喰らった企業は謝罪に追い込まれ、当の学生たちには『停学』処分が下されることもあった。
 結果、ひとまず沈静化したバカッター騒動だが、
 『17年に入って再びブームに。その時、私は〝バカッター4年周期説〟を唱えました。身元がバレた学生に厳しい処分が下り、また、学校から厳しく注意されたことで、その世代はひとまずおとなしくなる。しかし、4年が経つと、騒動を知らない世代が入れ替わりにスマホを持つようになって再燃するというわけです。ただ、結果的にこの予想はハズれ、17年から2年後の今年〝バカ動画〟騒動が巻き起こりました』(同)
 『ゆとり世代』と重なる
 では、マトモな大人ならば誰もが眉を顰(ひそ)めるような『バカ動画』が、なぜこれほど蔓延しているのか。
 ITジャーナリストの井上トシユキ氏によれば、
 『今回の騒動で炎上しているのは〝動画〟ばかりです。その意味で、ここ数年の間にインスタやTikTokといった動画アプリが流行し、誰もが手軽に動画を編集・投稿できるようになった影響は大きい。また、かつて高価だったスマホも、10代の若者でも手が届く廉価な中古品が出回るようになりましたからね』
 加えて、下品かつ過激な動画を『積極的に探して晒すことで、リツイートやフォロワーの獲得を目論む連中もいる』(中川氏)という。
 かくして、バカ動画が猛威を振るう土壌は整ったワケだが、それに興じる若者にはある共通点があった。
 そう、彼らの多くは『ゆとり世代』なのだ。実は、ゆとり世代の成長過程と、バカッター・バカ動画の流行は奇妙に符合する。
 13年のバカッター騒動は、ゆとり教育が導入された02年に小学生だった生徒が高校、大学に進学したタイミングと一致。そして今年、バカ動画を生み出した15歳以上の若者は、ゆとり教育をうけたことのある最後の世代に重なる。悪名高きゆとり教育は、子どもたちの学力だけでなく、道徳心までも奪い去っていたことになる。さらに、井上氏が続けけるには、
 『動画を投稿したのは、最初に買い与えられた携帯電話が〝スマホ〟だった世代でもあります。幼い頃からSNSを通じて人間関係を築いてきた彼らは、何よりも〝ノリの良さ〟を重視する。過激な動画を投稿する友人を諫めれば、〝ノリの悪い奴〟〝陰キャ〟と認定され、コミュニケーションから村八分にされてしまう』
 SNSと現実世界が直結している彼らは、学校での悪ふざけと同じ感覚でバカ動画を量産してしまう。その行為が招く当然の結果すら予見できないほどのバカが増えたということだ。
 ちなみに今回、バカ動画の被害に見舞われた企業を取材すると、バイト店員の採用時には、〈厨房にスマホを持ち込まない〉〈SNSに職場の情報を投稿しない〉といった誓約書にサインされていた。だが、現状を見れば、企業側の自衛策が功を奏したとは言い難い。
 では、この『バカ騒動』に有効な対策などあるのか。
 評論家の呉智英氏は言う。『小中学校の授業でパソコンの操作だけでなく危険性を教えることは大事でしょう。いまや問題意識を教え込むだけではどうしようもないように感じます』
 たとえば、ATMが普及したことで、我々はいつでも何処でも預金をおろせるようになった。しかし、生活が便利になる半面、ATMが振り込め詐欺など新手の犯罪の温床と指摘する声もある。とはいえ、我々はもはやATMのない生活に戻ることはできない。
 『それはネットも変わりません。愚行を喰い止めるためには法的措置を講じて、処罰の前例を積み重ねていくしかない。振り込め詐欺の被害を防ぐため、警察は取り締まりを強化して、ATM利用者に注意喚起する。それと同じことです』
 実際、くら寿司を運営するくらコーポレーションは、発覚直後にリリースを公表。鮮魚をゴミ箱に放り込んだ従業員を退職処分にしただけでなく、〈刑事、民事での法的措置の準備に入ったことをご報告いたします〉と付け加えた。
 つまりバカ動画に対し、子どものイタズラではなく、『犯罪』として対処すると宣言したのである。
 『くら寿司のケースで問われるのは、偽計業務妨害罪になります』
 とは、危機管理に詳しい加藤博太郎弁護士の解説。
 『今回の場合、従業員の行為が、店内で日常的に繰り返されているようなイメージを世間に与えてしまった。それによって法人の信用が著しく毀損されたとすれば、偽計業務妨害罪に該当する可能性があり、3年以下の懲役、または50万円以下の罰金が科されます。一方、民事でも風評被害による逸失利益や、信頼回復のためのキャンペーン費用など、数億円規模の賠償を請求される可能性も否定できません』
 『してはいけない』を知る
 評論家の唐沢俊一氏は嘆息する。
 『かつての日本には〝お家やご先祖様に恥じぬよう〟という義理を重んじる文化がありました。今日ではそうした感覚が疎んじられ、個人の自由や権利ばかりが声高に叫ばれるようになった。ただ、いつの時代も大人になるということは、自分を抑えて社会の歯車になることに変わりありません。個人的な欲望を抑えて社会の要請に順応する。その点を無視するのは自由の意味をはき違えているだけです』
 他方、ゆとり世代の間で人気を勝ち取るのは勉強や運動ができる子よりも、芸達者で面白い子だそうで、
 『いかにバカなマネをして周囲に笑ってもらえるかが肝心なのです。人前でバカを晒すことを何よりも恥と感じ、子どもが何かしでかす度に〝人様に顔向けできない〟と叱られた時代には考えられないことです』
 その昔、『菊と刀』で日本を『恥の文化』と規定したのは米国の文化人類学者、ルース・ベネディクトだった。こんな悪ふざけ動画を嬉々として公開することに恥ずかしさを覚えないとすれば、日本人の道徳も地に落ちたという他ない。
 ジャーナリストの徳岡孝夫氏も危機感を訴える。
 『日本人はもともと、〝してはいけないことが分かっている国民〟でした。たとえ震災が起きても、救援物資を求める被災者は整然と列をなし、〝お先にどうぞ〟とお年寄りに順番を譲ることもある。外国の人々からすれば驚くべき光景で、〝なんと規律と道徳を重んじる国民なのだろう〟と目を丸くしていたわけです』
 しかし、他人の迷惑を顧みない『バカ動画』の流行を見るにつけ、悲しいかな、日本人の美徳が失われてしまったように感じられると徳岡氏は嘆くのだ。
 『いまの若者には、決まり事を重んじる古き日本社会は不自由で窮屈に映のでしょう。師匠に弟子入りして不条理に耐えながら芸を磨くのではなく、やりたいことだけをやる。実際に、それでビックリするようなお金を稼ぐ人もいるわけです。ただ、誰もがそれに追随すれば、世の中は何でもありの〝Iawlessness(無法状態)〟になってしまう。私が若者に伝えたいのは、〝いま〟はそう長くは続かないということ。遊び半分で好き放題していても、結局は自分たちが現実社会の掌の上で踊っていたに過ぎないことを知る日が来る。大切な時間の過ごし方をもう一度、考え直してほしい』
 法的措置を講じられたバイト社員たちは、周囲よりも早く『現実を知る』こととなった。
 だが、彼らが同時に『恥』や『道徳』を知らない限り、ネット上から『バカ動画』が消える日は来ない」
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 2月18日 産経新聞 iRONNA「『戸村智憲』バイトテロを「ただの馬鹿」と思うなかれバイトテロ。最近、こんな言葉が巷をにぎわす。コンビニや飲食店のアルバイト店員らが勤務中に悪ふざけした不適切動画が相次いで投稿され、炎上が続いたためだ。「ただのバカ」「若気の至り」…。さまざまな声も聞こえてくるが、何が問題なのか。この現象の意味を考えたい。 
「若気の至り」バイトテロを司法が裁くのは当然の報いである
 戸村智憲(日本マネジメント総合研究所理事長)
 サイバーセキュリティ月間(2月1日~3月18日)の最中、非正規社員(アルバイトやパート)による会員制交流サイト(SNS)への不適切投稿、いわゆる「バイトテロ」の問題が相次いでいる。
 手のひらの上から起こる業務妨害や器物損壊、株価下落など、刑事・民事ともにIT機器とSNSを介した問題が多発する中、筆者が常々述べていることだが、最大のセキュリティ・ホール脆弱性)は、ITより人の心にあることが露呈された形だ。
 不適切投稿は今に始まったことではなく、一昔前には、有名ホテルのレストランや大手金融機関などでの顧客のプライバシー垂れ流し事件の他、飲食店での悪質な業務妨害行為の不適切投稿で閉店や廃業を余儀なくされた事件もあった。
 正社員よりも比較的簡単に、ある日ひょっこりと有名企業などの一員となりやすいアルバイトなどの非正規社員が、いきなり現場サイドの顧客と近い接点を持つだけに、違法・不適切な言動に及ぶリスクは高い。だが、非正規社員だからと言って法的や社会的に許されるものではない。
 悪ふざけの動画をSNSに不適切投稿した者に対する非難や、弁護士の法的観点からの記事など、多種多様な意見が見受けられるが、筆者は「内部統制」「リスク管理」「危機管理」の定石として、企業が当然取るべき不祥事対策と留意点をまとめておく。
 筆者なりの言い方だが、とかく難解にとらえられがちな内部統制は、「健全に儲け続けるための仕組み」である。そのキーワードは平仮名4文字を用いれば、「そもそも」であり、そもそも問題が起こりにくい仕組みづくりや職場づくりが重要だということである。
 もちろん、人間が仕事を行う以上、故意に悪行に及ぶ問題行為であれ、意図せず善意でうっかり問題視される事態に至るものであれ、企業経営を継続している以上は、どれだけ未然の防止策を講じても不祥事リスクはゼロにはならない。
 そこで、未然の対策と併せて講じる不祥事対策として、問題が起こった後に①ダメージの最小化②早期の回復(信頼・損失・売上など)③再発防止策、という災害時の事業継続計画(BCP)にも通じる、「事後の危機管理3原則」が重要となる。
 この度、某社の不適切投稿の問題で、抑止力としての刑事・民事の法的措置について、告訴や訴訟はやりすぎだという声も少なくない。だが、企業の危機管理3原則においては、③の再発防止策に位置づけられるものとして何ら不思議はない。
 筆者は多様な意見や個性を否定するわけではない。本稿は、事前と事後の不祥事対策の観点から、企業経営として法的・社会的に必要とされる重要な点を説明することが狙いだ。
まず、正社員ではない非正規社員(アルバイト・パートなど)の若者の「若気の至り」であるかのように扱われがちな不適切投稿は当然、司法判断に委ねられるべきものである。
 勤労学生控除の制度があてはまる学費を稼ぐ学生でも、また部活やサークルの合間に軽いノリで小遣い稼ぎをする学生などであっても、労働の対価を得る仕事は、正規であれ非正規であれ、企業の法に基づく経済活動だからだ。
 仮に若気の至りや「若者は間違いを犯しやすいもの」という議論があった場合、そこに年齢差別や多様性尊重の大前提であるコンプライアンス法令遵守+社会通念)の欠落がないか、「ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包摂)」の観点でも留意が必要である。
 また、若気の至りや学生の事情の勘案、情状酌量、違法性の有無を確定的に識別し断定できるのは、企業の法務部でもなければ市井の一弁護士による意見や評価でもなく、事実に基づく独立客観的な裁判官による司法判断以外にない。
 企業の実務面で見れば、信頼性低下リスクが現実化して生じた株価下落や売上減少などについて、株主など利害関係者への説明責任を果たし、損害保険の請求手続きなども確実に処理する上でも、不祥事対策には司法判断が欠かせない。
 学校教育における学生への指導的機能に着目し、学生など若者に対して起こす告訴や訴訟はいかがなものかという議論もあるが、その議論や意見などは多様性の観点から当然、さまざまな考えがあってよい。
 しかし、警察の協賛企業でもないのなら、会社は犯罪者更生施設でもなく、ましてや学校教育施設でもなく、純然たる経済活動の場である。あえて言えば、司法判断が常につきまとう社会教育の場にはなり得るとは言えよう。
 中には、いわゆる「日本的な家族経営」を美化した議論もあろうが、日本においても人員解雇によるリストラや経営陣による現場の軽視などから、既に少なからぬ企業現場の実態として、「日本的な家族経営」は崩壊しているように思われる。
 むしろ、「日本的な家族経営」という文言が悪用され、サービス残業という名の違法労働の横行を誘引している。また、不正発見時などに「家族」という名の会社、「親」である経営陣のため、異を唱えず違法状態を黙認させる危険な企業実態すら少なからず見受けられる。
 こうした中で、コンプライアンス研修は正規・非正規を問わず全役職員に提供されるべきであるが、これは学校教育としての研修ではない。経済活動で善悪の判断基準を備え、「そもそも」不正を起こしにくくする予防的な不祥事対策としての研修である。
 筆者が日本で初めて提唱し各社に指導を行ってきた「ソーシャルメディアコンプライアンス」では、まず未然に企業が不適切投稿で「そもそも」問題が起きにくいよう講じておくべき点は、主に以下の5つの点である。
 まず、一つ目はソーシャルメディアポリシーやガイドラインの策定と不正防止研修の実施だ。内部統制の日本版「COSO」(米国トレッドウェイ委員会組織委員会)モデルで言えば「統制環境」にあたるが、不正を許さぬ風土づくりとして、善悪の判断基準づくりと周知徹底が出発点だ。
 経営陣や上司が気まぐれで善悪の基準を変えて、非正規社員パワハラなどを行っていたなら、それ自体が企業の不祥事だが、お互いに判断基準や何をどうすれば良いかが明確な状態で、公平で安心な業務体制づくりが不祥事対策に必須である。
 二つ目は、採用・入社時の誓約書への署名と不適切投稿などによる損害賠償責任を正式書面で通知することだ。三つ目は、不適切投稿を行った者の末路や仲間以外のネットユーザによる個人情報の晒(さら)しなど、事例考察を交えた指導を実施することである。
 さらに、ある不適切投稿では「クビ」になること覚悟で意図的な問題行為があったようだが、四つ目として単に「クビ」かどうかではなく刑事事件・民事訴訟となり得ることを明確化しておくこと、五つ目は懲戒処分を隠して履歴書を提出すれば、経歴詐称であることを認識させておくことだ。
 一方で、ソーシャルメディアコンプライアンスにおける、不適切投稿が起こってしまった際の事後対応としては、主に以下の3つの点が重要となる。いずれも、防災対策などで普及が進んできたBCPに通じる点でもある。
 まず、不適切投稿を把握した段階で、①ダメージを最小限にするため、社内法務部門や広報部門、顧問弁護士と連携し、企業は加害者側として事実確認と危機管理広報での顧客・関係各位への謝罪、会社としての対応などを早期に発信する。
 ②(売上・信頼などの)ダメージの早期回復策として、器物損壊や衛生状態の悪化などに対し、どのような回復措置を講じるかといった初期の情報発信の他、継続的にイメージ回復の広報対応を行う。
 ③再発防止策として、どのような不適切行為をどう予防する対応を講じるかについての初期の情報発信とともに、「そもそも」問題が起きにくい措置を採用、入社時点から平素の運営・管理監督に至るまで、継続的に講じる。
 顧客や利害関係者などへの広報実務面としては、炎上状態の際は危機管理広報として早期是正の活動の周知に努めることが重要になる。また、炎上沈静化の後は、企業イメージ回復と向上のために、広告・宣伝・PR活動へと移行する組織的対応が必要となる。
 ただ、ソーシャルメディアコンプライアンスは、現場の正規・非正規の役職員を委縮させる目的で行うものではない。また、SNSなどにおける言論や表現の自由を損ねたり、逆にヘイトスピーチ的な問題を放置したりするものでもない。
 日本企業が設けるソーシャルメディアポリシーやガイドラインは、とかく禁止事項列挙型で現場を委縮させがちだが、SNSを用いるならどのようにしてお互いに楽しく幸せになる活用の仕方をするかという、導き型の指導が重要である。
 また、労働基準法などを無視して、安直に役職員に過剰な罰金を科すことなどは、不適切投稿による不祥事の抑止のつもりでも、その過剰な罰金を科すこと自体が、労働法上の違法行為となり不祥事そのものとなり得ることにも、気をつけなければならない。
 さらに、不祥事対策に司法判断が欠かせないが、裁判権の濫用(濫訴)による役職員の人権侵害や恫喝的な法的対応は、仮に不祥事を減らす効果があったとしても、違法性も社会通念上も問題がある不適切な対応となり得るため避けるべきである。
 会社側にも非正規社員側にも、相互に権利の濫用や不適切行為がない状態かどうか、また、入管法改正に伴う職場の多国籍化・多様化に備え、「ダイバーシティ&インクルージョン」による対応が十分浸透しているかといった点も、この機に検証すべきだろう。
 以上、筆者の日本企業各社への不祥事対策指導や、元国連の専門官としての経験をベースに不適切投稿についての私見をまとめてみた。
 本稿に対する異論反論は歓迎である。だが、事実と評価の混同による曲解コメントや誹謗中傷など違法性阻却事由を満たさない投稿などは、スラップ訴訟(批判的言論への威嚇目的訴訟)に直面した筆者としては、やむなく法的措置を講じざるを得ないこともあるので、ご留意いただきたい。」
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 個性がない日本人は、朱に染まりやすく、悪い仲間に加わり悪い事をして狂喜乱舞し、良い仲間を偽善的仲よしクラブと蔑視し、良い事はダサい事だとして軽蔑し妨害する。
 現代日本は、その方向へと向かっている。
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 外国人の方が日本人よりも幾分かはましである。
 道徳心のない不良日本人を追い出し、道徳心があり真面目な外国人を受け入れる事が、日本の為である。
 多民族多文化共生社会となれば、日本は日本人だけの日本ではなくなる。
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 日本人の、男性の精子劣化、女性の卵子老化、生殖機能の退化、繁殖能力の衰退。
 自然発生的な、少子高齢化による人口激減。
 その原因を、GHQの人口抑制政策に求める事ほど愚かな事はない。
 全ての原因は、日本人自身にある。
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 正しい事を行うのは勇気がいるし、正しい事を続ける事は大変で苦労が多い。
 悪い事をするのは楽しく、悪い事を続けるのは容易い事である。
 人は、正しい事をするより悪い事をする事に魅力を感じる。 
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 武士は、体面や名誉を守る為に切腹した。
 現代日本人には、武士道はない。
 武士とは、武器を取って敵と戦い、敵を一人でも多く斬り殺す専門職である。
 武士は現代日本人になれるが、現代日本人は武士にはなれない。
 同様の事は、昔の百姓や町人、商人や職人にも言える。
 現代の日本人は昔の日本人とは違い、昔の日本人は現代の日本人になれても、現代の日本人は昔の日本人にはなれない。
 現代の日本人が武士・サムライを気取るのは、猿回しの猿に似ているが、猿回しの猿にさえバカにされている。
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 戦前まで存在していた「誰も見ていなくてもお天道様は見ている」や「約束、信用・信頼は、金よりも命よりも大事」という日本人の信条は、現代日本では消え去っている。
 「人のふり見て我がふり直す」は、現代日本では死語になっている。
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 法律で禁止されていなければ何をしても構わない、という無地帯的風潮。
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 現代教育は、「命さえも金で買える」と教えている。
 その象徴が、第九条の日本国憲法である。
 日本国憲法では「日本の安全」は、アメリカ人青年の命を金で買い、アメリカ人青年を兵士として戦場に送り出すと、宣言している。
 つまり、日本国憲法反戦平和憲法ではなく人命無視の非人道憲法である。
 アメリカ人青年が幾千万戦場で死のうと、日本人は戦場に行ってはならない、一人でも戦死する事などあってはならない。
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 日本人のモラル崩壊は、飲食店でのアルバイトテロの外に成人式などでも見られ、親の子殺し、子の親殺し、切れる老人、いじめ殺人など各年齢層で社会全般に見られる末期的症状である。
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 日本人のモラル崩壊は日本民族日本人の消滅の兆し。
 日本人のモラル崩壊をもたらしたのは、家族否定・地域否定・民族否定の共産主義マルクス主義)による戦後教育である。
 何故なら、日本民族日本人の強みは家族の絆や地域のつながりにあったからである。
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 日本人のモラル崩壊は、増加する外国人移民(主に中国人移民)にも伝播する。
 外国人移民が増えれば、日本は確実に変貌していく。
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 日本の少子高齢化による人口激減。
 日本人、男性の精子劣化と女性の卵子老化、生殖機能の退化、繁殖能力の衰退。
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🚱8〉─1─大都会の超高齢限界集落。横浜。~No.33No.34No.35 

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 2019年2月21日 産経新聞「横浜の中心部に超高齢「限界集落」 高層化する簡宿
 火災があった簡易宿泊所「扇荘別館」=1月4日午前、横浜市中区寿町
 正月3が日が過ぎたばかりの1月4日朝、横浜市中区寿町の簡易宿泊所で火の手は上がった。鎮火直後、消防は「3人死亡」と発表したが、その日のうちに神奈川県警は「火事で亡くなったのは2人」と訂正。実は建物内の一室ではこれ以前に男性が孤独死し、当初、火災の犠牲者の1人に数えられていたのだ。日本三大寄せ場の一つとされる寿町を中心とする寿地区だが、いまは65歳以上が半数以上を占める超高齢地区に変貌し、身寄りのない人も多い。火災によって発見された遺体。悲劇は街の現実を物語っていた。
 火が出た簡易宿泊所「扇荘別館」は、地上10階建ての鉄筋コンクリート製ビルだった。一見、普通のマンション然とした建物だが、中は広さ数畳の部屋で仕切られ、利用者は共同のトイレ、炊事場を使用することになっている。横浜市の担当者によると、寿町とその周辺約6千平方メートルの範囲を意味する寿地区には、こうした簡易宿泊所が昨年11月時点で新旧合わせて121軒営業しているという。
 かつての寄せ場
 寿地区は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の接収が解除された後、この地に置かれた職業安定所を取り囲むように簡易宿泊所が建設され、その原型ができたといわれている。同じように日雇い労働者の宿が林立し、東京都の台東区荒川区にまたがる山谷地区、大阪市西成区のあいりん地区と並んで、いつの頃からか日本三大寄せ場の一つとして数えられるようになった。
 過去にさまざまな事情を抱えて生きる人も少なくなく、ほかの2地区と同様、治安の悪さが取り沙汰されてきた。「昔は制服で寿町を歩くと男たちに囲まれ、建物の上からモノを投げられることもあった」と述懐するのは神奈川県警のOBだ。寿町内に設置される交番の窓は、ガラスではすぐに割られてしまうため、アクリルでできており、内側から鍵がかかるようになっている。冬は路上のそこかしこで、ストーブ代わりにたき火が行われていた。
 福祉の街に変貌
 横浜で福祉活動に尽力した男性が昭和58年に発表した著書の中には、40年代半ばの驚くべき回想が収録されている。当時、街の住人は肉体労働に汗し、夕方になれば懐を暖めて戻ってきた。寿地区ではそうした人々を襲って金品を奪い取る「マグロ」と呼ばれる集団強盗が横行していたというのだ。
 自治会の熱心な活動によって犯行がやむまで、「このような事件は、一夜に二十件は起きていたのである」(中田志郎氏著『はだかのデラシネ』より)という。裸一貫の労働者が暮らす無法地帯だったのだ。
そんな街の様子が変わっていくのは、昭和末期から平成初期にかけてのバブル景気が、崩壊してからだと市担当者は話す。不況で仕事が減っただけでなく、住人自身が年を取り、働くのもままならなくなったからだ。「日雇い労働者の街」が行き着いた先は「福祉の街」だった。
 生活保護が95%超
 内閣府がまとめた平成30年版の「高齢社会白書」によると、65歳以上人口が全体に占める「高齢化率」は全国平均で27・7パーセントだった。対して、市が昨年11月に調査した寿地区の住人の数は5716人で、うち65歳以上は3164人。高齢化率はきっちり2倍の55・4パーセントに達している。その高齢者の中で、生活保護を受給しているのは3026人で、95・6パーセントを占めた。
 「生活保護が必要な65歳以上の単身者には、生活補助として、住宅補助とは別に月8万円が支給される。介護が必要な場合は介護補助も支給されるため、地区内には現在いくつもの介護サービス事業所が開業している」(市担当者)という。
 簡易宿泊所はおおむね、1泊1千~2千円台で利用することができ、山谷地区やあいりん地区では、外国人のバックパッカーが宿を求めることも増えているとされる
 孤独死も起きて
 一方の寿地区だが、地区内を歩くと、バリアフリーをうたう新しい簡易宿泊所が目につく。火災が起きた現場と同じようなマンションタイプで、市担当者は「高齢者向けに、高層階の簡易宿泊所が増えている点が、東京や大阪とは異なる」と指摘する。
 ただ、そうした「福祉の街」化が進み、行政や施設の管理人など関係者が心を配っても、3千人を大幅に超える高齢者全てに目を行き届かせるのは難しい。結果、冒頭のような孤独死も起きている。
 簡易宿泊所を利用する75歳の男性は、寿地区に来て3年目だといい、肉体労働者時代からこの街に身を置く「先輩」たちを念頭に「ここじゃ、新人みたいなもんだよ」と、残り少ない歯をみせて笑った。横浜という大都会に、ぽっかりと浮かび上がる「限界集落」は10年後、20年後、どんな姿を見せているのだろうか。
 【寄せ場
 もともとは、業者の配下にある手配師が日雇い就労者を募集する路上の労働取引の場を意味し、転じて、日雇い労働者たちが居住する地区を指すようになった。かつては、簡易宿泊所が「ドヤ」と呼ばれたことから、「ドヤ街」などとも呼ばれた。」
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🌁47〉─1─小中学校で外国籍の学童・学生が増えていく。No.218No.219No.220 

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 2019年2月18日 朝日新聞「新入生49人のうち41人が外国籍 愛知の小学校
 c 朝日新聞 知立東小学校の入り口にあった「ようこそ知立東小学校へ」の看板にはポルトガル語が添えられていた=2017年1月10日、愛知県知立市
 愛知県知立市の市立知立東小学校で、新年度の新入生49人中41人が外国籍になる見込みになった。市は同校で日本語指導などを担当するサポート教員を2人増やすことを決めた。
 知立東小は、ブラジル人など外国人住民が多い知立団地内にあり、1月現在の在校生308人中212人(68・8%)が日本語指導が必要な外国籍児童。新年度は外国籍新入生が8割を超え、国籍は12カ国に及ぶ。新入生の日本人児童は8人で、初めて1桁になる。
 知立市では、不登校やいじめ対応のため、1日4時間勤務の臨時講師として教員免許を持つサポート教員が小・中全10校に1人ずつ配置されていて、知立東小のみ2人増えて3人態勢になる。新年度予算案に増員分を含めた12人分の人件費2857万円を計上した。(小西正人)
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 外国人移民・難民が増えれば、その子供達はネズミ算的に急増する。
 外国籍学童・学生が多数になれば、学校での国語は日本国語ではなく外国語となる。
 日本の文化も、日本民族の文化ではなく外国の文化になる。
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 日本人の、男性の精子は劣化し、女性の卵子は老化し、生殖機能は退化し、繁殖能力の衰退している。
 生物界の原則として、生殖機能が退化して繁殖能力が衰退した種は死滅・絶滅する。
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 外国人移民・難民(主に渡来系中国人)が増加すれば、繁殖能力が旺盛な外来種外国系日本人が多数派となり、繁殖能力が衰退した在来種日本民族日本人は少数派となる。
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 日本民族日本人は、南方系海洋民・西方系草原の民・北方系森林の民が日本列島で出会い乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族である。

 最も影響を与えているのが、揚子江文明の南方系長江流域の民(現・少数民族)である。

 日本民族日本人は、単一民族ではないし、純血種ではない。

 中国人(現・漢族)と朝鮮人の祖先は、西方系草原の民であり、北方系黄河流域の民であった。

 日本人とは、日本民族ではなく、帰化人や渡来人に関係なく日本列島に住む全ての人間の事を指す。

 

⛲33〉─1─人生100年時代の超老老介護の悲劇。介護疲れの殺人。~No.203No.204No.205 ⑲ 

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 2019年2月18日 産経新聞「人生100年時代に「超老老介護」の悲劇
 70代の妻の首をネクタイで絞めて殺害しようとしたとして、殺人未遂罪に問われた夫(77)に対する裁判員裁判が平成31年1月、大阪地裁で開かれた。妻は認知症で、「老老介護」の末の思い詰めていたといい、地裁は「経緯は十分に酌むべき」として懲役2年6月、執行猶予4年(求刑懲役4年)を言い渡した。「人生100年時代」に突入しようとする中、介護を受ける側も担う側も75歳以上という「超老老介護」世帯も3割を超えた。専門家は「老老介護世帯が第三者に助けを求められる仕組みが必要だ」と訴える。
便箋に「もうあかん」
 「お父さん何するの、やめて」
 公判資料などによると、事件は平成30年8月6日午後2時ごろ、大阪府門真市にあるUR団地の一室で起きた。夫が6畳和室で妻の首にネクタイを巻き付け、絞めた。
 その後、夫はベランダで自分の首を包丁で切りつけて自殺を図った。しばらくして妻は意識が戻り、ベランダで倒れていた夫を発見。妻は夫を助けてもらおうと、近所の人らに通報を呼びかけた。妻は、まぶたの鬱血(うっけつ)など2週間の軽傷を負った。
 公判で夫は起訴内容を全面的に認めた。検察側の冒頭陳述によると、25年にがんの手術をして以来、思い通りに体を動かせなくなったが、その2年後、妻が認知症になった。介護を続けていたが、日ごろから「つらい」「もうあかん」などと、便箋(びんせん)やノートにつづっていた。
 「2人とも持病がいっぱいある。ぼけたらみじめ。一緒に責任を果たす。1人になっても元気でがんばってよ」
 長女に宛てた「遺書」も見つかった。
「超老老介護」3割も
 被害者の妻は捜査員に複雑な心情を述べていた。
 「お父さんは精神的に思い詰めていたかもしれません。お父さんを怖いと思います。しかし、お父さんがいなくて寂しいし、家に帰ってきてほしい」
 迎えた判決公判。地裁は「夫に第三者の支援を十分検討する知識や体力があったとはうかがえない。ほかの選択肢を考えられず、思い詰めて犯行に至った」と指摘。事件に至る経緯は十分酌むべきとした上で「犯情は重いとはいえない」と述べた。執行猶予付きの判決は、老老介護の苦境を考慮した地裁判断だった。
老老介護は年々増え、さらに“高齢化”もしている。
 厚生労働省が28年に実施した国民生活基礎調査によると、介護する人とされる人が同居する世帯のうち、65歳以上同士の「老老介護」世帯は54・7%と、過去最多を記録。両者とも75歳以上という「超老老介護」世帯は初めて3割を超えた。
「1対1の介護関係避けよ」
 介護問題に詳しい淑徳大の結城康博教授(社会福祉学)によると、介護殺人の加害者に多いのは、献身的に介護を続けた人▽外部のサービスを利用するのが不得手な人▽介護を仕事のようにとらえる人-という。
 さらに、男性は女性よりも他者を頼ることにためらいがちで、外部のサービスを利用したくないと考える人も少なくないという。今回の事件でも判決は、夫が第三者の支援を受けるのが難しかったと指摘した。
 結城教授は「一人で抱え込んだ末に手をかけるケースが目立つ。介護者-被介護者という1対1の関係に陥らないことが重要」と強調。「介護カフェなど、同じような悩みを持つ人が集まって情報交換するような場はすでにある。次はそうしたサービスをより身近に利用してもらえる仕掛けを考える必要がある」と訴えている。
若若介護も
 問題は老老介護だけではない。
 シニア女性誌を発行する「ハルメク」(東京)の生きかた上手研究所、梅津順江(ゆきえ)さんは、「高齢者でない世代が介護する人とされる人になる『若若介護』がこれからの課題になる」とする。
 梅津さんによると、若くして認知症を発症した場合、体は自由に動くため、介護する側の負担はより大きくなる。体が思い通りにならないいらだちからか、介護する人に不遜な態度をとることもあるという。さらに、介護施設が高齢者以外に対応していないケースもあるなど、課題は多いと指摘する。
 梅津さんは「若若介護は先が見通せず、絶望感にさいなまれがち。事例としてはさほど多くないかもしれないが、遅かれ早かれ、深刻な問題になる可能性をはらむ」と警鐘を鳴らす。」


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🌅17〉18〉─1─無宗教墓無用論。日本の伝統では、大多数の日本人は墓を持っていなかった。~No.76No.77No.78No.79No.80No.81 

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 2019年2月14日 msnニュース ハーバービジネスオンライン「 次の時代の価値観は「墓は要らない」「墓には入りたくない」
 俺は若い頃から、個人の考えとして「墓は要らない」「墓には入りたくない」という考えを持っていた。墓に入ること自体にも興味がないが、何よりも墓があることで次の世代に墓参りや管理をしてもらわねばならないことが嫌だからだ。それなりの労力と維持費がかかるのだから、次の世代のカネと時間を浪費したくない、というわけだ。
 親にも若い頃からそう伝えている。「お前は非常識なことを……そういうものなんだから」といつも返されていた。がしかし、最近は認めているようだ。実際に墓を持たない人も増えてきたからだろう。
 ◆伝統的・当たり前と思われているものを疑え
 伝統的とか当たり前とか思われているものについて「本当にそうなのか?」と考えることがよくある。俺の場合、その判断基準を明治初期以前の時代と照らしてみる。大量流通・大量生産・大量消費の社会になる前と比べて考えるのだ。
 例えば、正月に誰もが年賀状をたくさんやりとりする。これは本当に“伝統的”で“当たり前”のことなのか?
 7世紀頃から年賀状らしきものが生まれているが、それは宮中や権力者や富裕層が中心だった。しかもそれは返信が半年後といった例もあるようで、のんびりしたものだったようだ。
 庶民に手紙が普及したのは江戸の飛脚制度から。それでも正月に届くように、何十枚も何百枚も書いて送っていたわけではない。手作りの和紙がそんなに大量生産できるわけないし、生身の人間が走って日本の隅々まで手紙を届けていたということを考えれば、大量に出すのは無理だったことが容易に想像できる。
 庶民に年賀状が定着するのは明治20年過ぎだ。ということは、古い伝統でもなんでもない。年賀状には、コスト、手間、意味合い、その時期だけ輸送量が急増して配達員が必要になるなど、経済合理性も環境合理性もない。しかも、プリンターで印刷した年賀状には、俺はセンスも意味も見いだせない。だから年賀状を書かなくなった。もう30年になる。
 ◆歴史の中では、墓に入ることが“当たり前”ではなかった
 墓も同じだ。歴史の中で、すべての人が墓に入ってきたわけではない。よく考えればわかることだ。同じ東アジアでも、火葬して川や海に流していた例もあるし、屍をそのまま川に流す水葬とか、木々の上で風化させる風葬もある。それを不衛生とか野蛮とか可哀想と思うだろうか? 生態系の循環や食物連鎖で考えると、むしろ理にかなっている。
 日本では、墓に石塔を立てるようになったのは江戸時代以降。それ以前は各地によって違ったが、土葬が中心で、火葬の地域でも石塔を立てなかった。そのため墓参りの習慣もなかった。沖縄の一部では、海の岩場や洞窟で野にさらす「風葬」もあった。墓に入ることは、伝統でも、当たり前でも、常識でもない。
 田畑の後背地にある高台に墓を見かけることがよくある。現代では土葬ではないのだろうが、本来の自然の循環からすれば、合理的な場所に埋葬されている。違う生き物たちの肥やしとなって、自らの田畑を見渡せる永遠の循環に身を委ねるなんて、素敵じゃないか。
 俺も、死んだら自分の田んぼに埋めてほしいと思うことがあるから、納得がゆく。だが実際は、今の日本ではそうもいかない。だから焼いて骨を海に撒いてもらえばいいし、生前にその費用だけを誰かに託して死ねたら最高だ。
 人の体は自然の中の循環物だから、すべてを自然に戻すのが本当は当たり前のこと。土に触れる暮らしをしていると、不自然と自然の見分けがつくようになる。裏返せば、自然の摂理から離れるほど人は不自然な方向に向かう。
 江戸期に墓の概念が生まれたのは、一部の人々が兵農分離で土から離れたから。不自然を不自然と感じなくなる過程で形成されたであろうことが想像できる。権力者や富裕者が大きな墓に入りたがるのも、土や自然の摂理から離れた、不自然な愚かさに気づかなくなるからだろう。
 ◆人間だけが自然の循環の外にいていいわけがない
 そんなこんなで「墓はいらない」ということを自分のブログに書いたら、大手企業を辞めて京都府綾部市に移住して田畑を耕している、平田佳宏さんが次のような反応をしてくださった。
「亡骸はそのまま野原に晒して鳥や獣の餌にして、虫や微生物の手で土に還してもらいたい。そうして自然の循環の中に入りたい。子や孫やそれに続く世代に墓の守りをさせたくない。
 人間以外の生き物は墓など作ることはないが、だからといって成仏できないなんてありえない。これまで何億年と生命は弔われることなく自然に還って循環してきたのだ。
 昔は人が亡くなると川の上流の方に土葬した。そうすると下流の田畑や森がよく育ったのだと聞いた。きちんと土に還るというのはそういうことだ。
 人間だけが自然の循環の外にいていいわけがない。命を奪って生きてきたのなら、死んだのちは我が身をほかの生き物のために提供することが務めであり、自然の摂理だと思う」
 ◆自然回帰思考と低収入化で「墓を守る」は薄れてゆく
 人は二度死ぬという。一度目はその人が死んだとき、二度目はその人を覚えている人が死んだとき。ということは、思い出してくれることが墓参り以上の弔いだ。思い出してくれる人がいなくなって、誰も俺の存在を知らないのに墓の世話をさせるなんて迷惑なだけだ。
 本来、死の弔いは金をかけずともできたこと。すべて商業主義・消費主義に乗っ取られただけだ。日本消費者協会の調べによると、葬儀にかかる金は全国平均で195万円。これではお金がある人しか「ちゃんとした」葬儀はできない。今後も格差が解消されないのなら、逝った人を送るのがどんどん厳しくなる。
 しかし落胆しないでほしい。通夜、告別式、読経を省略して、火葬するだけなら十数万でできる。生活保護受給者なら自治体が最大で20万円まで補助する法律になっているので、負担はない。逝く側も送る側も、ちゃんとした葬儀なんてそもそもしなくていいじゃないか。
 政治と経済の愚行で格差が広がり、墓を買うとどころか、親や先祖の墓を維持できない人たちが増えている。墓や霊園など、何百年後にも存在しているだろうか。
 歴史の遺構物には何千年というものだってあるのだから、残っているものもあるだろう。しかしほとんどは、天変地異や環境破壊、戦争や開発などで失われることもあるだろうし、経済的に維持ができずに撤去することもあるだろう。おそらく、そのほとんどが残らない。いずれ結局は自然に還るのだ。
「墓に入りたい」「墓を大切にしたい」という人もいて当然だし、素晴らしいことだ。しかし、「生まれた場所で育ち、生き、死んでゆく」という時代は、ローカルに一生を生きる以外は先細りだ。遠い場所に墓があっては、時間的にも経済的にも墓を守ることは難しくなる。
 一方で、都心には墓を置く場所がないゆえに、郊外の山を削って大霊園を作る。それは環境破壊で、自然循環を壊し、麓に土砂災害を誘発することでもある。遠くの墓を住まいの近くに移すのも良いが、それにも相当の金がかかる。ゆえに、墓じまいも増えているし、無縁墓地も増えている。
 そんな矛盾に満ちた時代にあって、現世を充実して生き切るために「墓は要らない」「墓には入りたくない」と思う人は増え、次の時代の価値観になっていくに違いない。
 そして、俺ら貧乏人にとっては、そう考えたほうが都合がいい。
 【たまTSUKI物語 第13回】
 <文/髙坂勝>
 1970年生まれ。30歳で大手企業を退社、1人で営む小さなオーガニックバーを開店。今年3月に閉店し、現在は千葉県匝瑳市で「脱会社・脱消費・脱東京」をテーマに、さまざまな試みを行っている。著書に『次の時代を、先に生きる~まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ』(ワニブックス)など」
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🧣29〉─9─少子高齢化による人口激減で急増する児童への虐待・虐待殺人事件。~No.113 

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 日本人の心の奥底に、自分より弱い者をイジメ・虐待する喜びという暗い衝動が秘められている。 
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 2019年2月7日 産経新聞「虐待で児相通告8万人超 30年、警察庁の犯罪情勢
 千葉の小4女児死亡事件で会見する柏児童相談所の二瓶一嗣所長(右)と千葉県健康福祉部児童家庭課虐待防止対策室の始関曜子室長=5日、千葉県庁(桐山弘太撮影)
 警察庁は7日、平成30年の犯罪情勢(件数などは暫定値)を公表した。虐待を受けた疑いがあるとして児童相談所(児相)に通告した18歳未満の子供は前年比22・4%増の8万104人となり、統計のある16年以降初めて8万人を超えた。刑法犯全体の認知件数は81万7445件で、戦後最少を更新した。
 児童虐待は、今年1月に千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅浴室で死亡し、両親が傷害容疑で相次いで逮捕されるなど後を絶たない。
 通告児童数は過去5年間で約2・8倍に増加。30年分の内訳は、暴言などの心理的虐待が5万7326人と7割を占めた。暴力による身体的虐待が1万4821人、ネグレクト(育児放棄)などの怠慢・拒否が7699人、性的虐待が258人で、いずれも前年を上回った。」
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