🌄21〉─1─歴史的魅力のあるのに「観光振興で失敗する街」の根本原因。~No.98No.99No.100 

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 2023年11月10日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「失敗した事例はどれも似たようなもの・・・歴史的魅力のあるのに「観光振興で失敗する街」の根本原因
 地域の歴史文化を利用した「まちおこし」の失敗パターンとは(写真:Graphs/PIXTA
 ある地域を観光産業で元気にしたいと考えたとき、その地域が歩んできた歴史は大きな武器になるでしょう。しかし、歴史に基づいて地域をブランディングするというのは、そう容易なことではありません。まちおこしがうまくいかない事例はどれもよく似た失敗をしているのです。本稿では、歴史文化を活用したまちおこしの失敗パターンを2つ紹介します。
 ※本稿は久保健治氏の新著『ヒストリカルブランディングコモディティ化地域ブランド論』から一部抜粋・再構成したものです。
 【グラフを見る】「歴史的な建築物がある集落や町並み」の滞在時間
■歴史文化による地域振興は失敗することもある
 歴史文化は観光地の競争力を高めるものだといえる。しかし、読者の中には次のように思う人も少なくないだろう。
 「歴史文化が差別化になるという理論はわかったが、現実には実践しているのに失敗としか思えない事例もある。理論と現場は違う」「いままで、歴史文化振興を頑張ってきたが結果が出ていない」等々。
 歴史文化を活用することの利点はあるが、歴史を使えば100%成功するわけではない。そして、そのような「魔法」は地方創生や観光においては存在しない。当然成功もすれば、失敗もする。
 トルストイは「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と述べているが、少なくともヒストリカルブランディングにおいては、「成功した事例は、それぞれに成功しているが、失敗した事例はどれも似たようなもの」といったほうがいいようなことが多い。
 ここではよくある失敗事例を紹介したい。
■よくある事例①歴史文化をアピールしたが…
 地方創生を目的とした部署に配属となったAさん。Aさんは、地域の新しい魅力を発信しようと考えた。上司からは地域の歴史文化を活用するようにとの指示を受けた。いろいろと調べた結果、一般的には知られていないが、興味深い歴史的事象を発見した。
 念のため周囲の人にも聞いてみたが、皆も「へー、それは知らなかった。そんな歴史があったんだ。面白いね」という反応。そこで、Aさんはみんなに知ってもらえれば興味を持ってくれると思い、キャンペーンを実施することにした。
 地元紙でも「知られざる歴史」として掲載はされたものの、観光客への誘致などにはなかなかつながらない。地元企業と連携して地元の木で作った特産品の酒升といったオリジナルグッズを開発したものの、盛り上がりにかけてしまっている。そのため、次の一手が見つけられず、協力してくれていたボランティアの人たちも徐々に減ってきてしまっている。
 この事例は、いくつかの地域で私が聞いた内容を基にして創り上げた架空の事例である。Aさんのやり方はいったい何が悪かったのだろうか。その理由について理論を基にして分析してみよう。
 まずこの場合、Aさんは興味深い「歴史的事象」を見つけたので、これを知ってもらえれば地域の新しい魅力につながるだろうと考えた。
 この発想はよいのだが、観光という視点でいうと、それだけではもの足りない。なぜかというと、ここでAさんが認知拡大させているのは、単に知識だけだからだ。
■「知識だけ」では訪問にはつながりにくい
 新しい知識はもちろん知的満足感をもたらす。それによって、友人のように「面白いね」という感想にもなるだろう。しかしながら、「知識だけ」となると離れていても獲得できるし、知ってしまえば終わってしまうのだ。そうなると、訪問動機としては弱い。
 また、オリジナルグッズを作ったという記述があるが、ここでは単に地域の特産品である酒升に名前を刻印したくらいのものになってしまっている。歴史的事象と酒升の関連性も存在していない。
 坂本龍馬など、すでに全国的な知名度があり、一定のファンがついているような歴史的人物であれば問題はないかもしれない。だが、最近発信したばかりでは難しいだろう。そもそも、この歴史的事象に興味関心を持つ人が酒升を欲しいと思うのかどうかもわからない。
 これはかなり極端な例にしているが、実際には似たような事例は多いかと思う。単独で集客力があるブランドに育てていくためには、時間がかかる。一朝一夕にはいかないという前提はあるが、この事例はこの実践方法で時間をかけてもうまくいかない可能性が高い。
 まず、Aさんは歴史的事象を見つけたというが、歴史は過去のことであるから、それが発生してからだいぶ時間が経過している。つまり、もし今回の歴史的事象が認知拡大させるだけで集客できるのであれば、すでになっている可能性が高いのだ。ツーリズム理論でいうと、流通最大化による認知拡大だけではうまくいかない状況だといえる。
 Aさんの事例は、需要創出をしなければいけない状況で、単なる認知拡大というプロモーション施策を実施してしまったので失敗したといえる。やり方次第では、この歴史的事象によって需要創出ができるかもしれないのに、方法論で間違ってしまったのだ。
■よくある事例②歴史的景観で観光客は来るが…
 Bさんが住む地域では、歴史的景観が保存された状態で残っていたのだが、今まではそこまで観光振興には力を入れてこなかった。だが、少子高齢化の波は確実に迫ってきている。そのため、まちおこしとして観光振興に本格的に取り組むことになった。
 いくつかの施設もリノベーションなどの整備を行い、プロモーションを地道に続けた結果、以前と比較すると多くの人が観光でまちに訪れるようになり、まちにも活気が蘇ったと皆で喜んでいた。
 しかしながら、最初の興奮が冷めてみると、人はたくさん来るのだが、各商店の売り上げなどはそれほど上向きにはなっていなかった。団体バスもたくさん入ってくるし、人が来ているのは間違いない。ボランティアガイドの満足度も高いのだが……。
 この状況を打開するために、芸能人を招いたイベント開催などにも力を入れてきたが、イベントがなければ結局元に戻ってしまう。まちのみんなはイベント疲れもあり、観光に対して批判的な声も上がり始めてしまった。
 この事例は、全国の歴史的景観エリアで発生している。JTB総合研究所が2019年5月に実施した「『歴史的な建築物がある集落や町並み(重要伝統的建造物群保存地区)』での観光に関する調査」がある。これによると、歴史的な建築物がある集落や町並みの訪問経験は、各年代でバラツキはあるにしても、訪問を目的に旅行した経験が全体平均では約40%、「旅行したついでに訪れた」を含めると全世代で60%以上は訪問している。
 この数字だけ見ると、年代による違いはあるとはいえ、やはり歴史的景観が観光において人をひきつける力を十分持っているのは間違いない。
 問題は、来訪した観光客の行動である。次のグラフを見てほしい。
 ※外部配信先ではグラフを全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください
 はっきりとわかるのは滞在時間の短さ。ほぼすべての年代で70%くらいが4時間以内の滞在となっている。宿泊に関してのレポートを見てみても全体の約68%が日帰り訪問で、約14%が近隣の観光地や温泉地と地区外に宿泊している。当該地区に宿泊した人は全体の約19%。当たり前のことだが、観光客の滞在時間と消費金額には強い相関がある。
 つまり、Bさんの事例は歴史的景観で集客することには成功したが、消費につなげる展開で失敗したので、観光目的としては不満が残る結果になったということだ。何を当たり前のことを言っているんだ、と思う人もいるかもしれない。しかし、これは歴史文化の大きな特質の1つである。
■歴史的景観の中で楽しめる消費活動が必要
 歴史文化はコア・リソースであり、集客力を持っている。歴史的景観への訪問経験もそれを裏付けている。だが、歴史的景観だけでは見て終わってしまうことが多いので直接消費につながらない。
 歴史的景観の中で楽しめる消費活動が必要なのだ。Bさんの事例でいうならば、訪問動機となるものと消費活動になるものを明確に分けて考えていけなかったことが失敗の原因だったといえる。
 さらに、この状況を打開するためにイベントを開催したとあるが、内容は芸能人を呼ぶといった集客を目的にしたもので終わっている。地域の観光経験となっているコア・リソースを強化するようなイベントでなければ、それは単なる一過性のイベントで終わってしまう。
 これは典型的な一過性イベントで人を集める手法であり、この方法はある種のドーピングのようなもので、やり続けなければ効果が切れてしまう。そのため、次から次へとイベントをやり続ける必要が出るのだが、多くの地域では途中でイベント財源となっていた補助金が打ち切られてしまったり、過度のボランティア運営によるイベント疲れが出てきたりして、終わってしまう事例は多い。
■コア・リソースの価値を見失わないように
 Bさんの失敗事例は、観光客を呼び込むためのコア・リソースと、呼び込んだ後にどうやって楽しんでもらうのかを組み合わせる設計が甘かったことから起きたものだ。これらは目的が違うので、それぞれ検討していく必要がある。
 こういう時に気を付けなくてはいけないのは、「結局歴史的景観では儲からない」という極端な意見が出てきて、それに対して確かにその通りだという声が上がっていくことだ。すると、歴史的景観とはそぐわないが、消費活動につながりそうなわかりやすいものを整備しようとしてしまう。
 この方法は短期的にはお金が入ってくるかもしれないが、コア・リソースの魅力を弱めてしまうため、長期的にはマイナスとなる。似たような施設が隣接地域に建設されたら、それで終わりだ。
 そもそも地域に観光客を呼び込むことが何よりも難しいので、このケースでは歴史はしっかりと魅力的なものとして役割を果たしている。目の前の「数字」に追われて自分たちの魅力の源泉を自ら破壊することにならないよう、注意する必要があるだろう。
 久保 健治 :ヒストリーデザイン代表
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 2019年5月23日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「日本の観光地はなぜ「これほどお粗末」なのか
 情報発信の前には「整備」が絶対に必要だ
 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長
 せっかく来てくれた外国人観光客も、満足しなければお金を使ってくれません(画像:twinsterphoto/PIXTA
 オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行ってきたアトキンソン氏は、近著『日本人の勝算――人口減少×高齢化×資本主義』で日本の生存戦略を明らかにしている。
アトキンソン氏の提言どおり、人口減少時代に対応して「変化しつつある」のが観光業だ。本稿では、日本の多くの産業の参考になりうる考え方が詰まった「観光業の変革」について述べてもらう。
 観光業の「負のスパイラル」はあらゆる産業に見られる
 前回の記事(日本の観光業は「生産性向上」最高の教科書だ)では、日本政府が2020年の達成目標として掲げている「4000万人の訪日外国人客数、8兆円の観光収入」のうち、国が大きな役割を担う人数目標は達成可能な一方、民間の役割が大きい収入目標は達成が難しいという説明をしました。
 『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』は7万部のベストセラーとなっている(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)
政府は、2020年の8兆円に続いて、2030年には15兆円を観光収入の目標として掲げていますが、今のままではこの目標の達成も厳しいことが予想されます。
 では、どうすれば2030年の15兆円の目標を達成する可能性が高くなるか。今回はこの点について考えていきたいと思います。
 2020年の8兆円の観光収入目標の達成が難しいのは、いろいろな問題が原因として入り組んでいるからです。
 日本の観光業は、伝統的に生産性の低い業界でした。なぜ観光業の生産性が低かったのか、その原因にはさまざまな歴史的な背景があるのですが、中でも、人口激増がもたらした歪みが大きいように思います。
 少し単純化しすぎかもしれませんが、人口が増加していた時代の日本の旅行の主流は、社員旅行や修学旅行など、いわゆる団体旅行でした。つまり、都市部から大量の人間を地方に送り届けるという行為が、日本の観光業界の主要な仕事だったのです。マス戦略です。
 マス戦略なので、旅行先の地方でお客さん一人ひとりが落とす金額は少なかったのですが、やってくる人間の数が多いので、ある程度まとまったお金が地方にも落ちるようなシステムができていました。
 当時の交通機関や旅行会社は、送り届ける人間の数を盾に、地方の受け入れ先の料金を下げさせました。その結果として、主に旅行会社や交通機関が儲かる仕組みが出来上がっていたのです。これはこれで、人口増加時代ならではの、賢い儲け方だったと言えると思います。
 人口が増えていた時代の旅行のほとんどは国内旅行でした。そのため、滞在日数も短く、ゴールデンウィークや夏休みなどの特定の期間にお客さんが集中する一方、それ以外の季節はあまり人が集まらず、閑散期の長い非効率な業界でもありました。
 一方、繁忙期には黙っていてもお客さんが集まります。この2つの要因によって、当時は個々の観光資源に付加価値をつけるというインセンティブが働かず、観光地としての整備レベルが相対的に低いまま放置されていました。当然、お客さんの満足度も決して高くはなかったはずですが、それすら「当たり前のこと」として見逃されていました。
 要するに、単価が低くても、数の原理で売り上げを増やせばいいというビジネスモデルだったと言えます。厳しい言い方をすれば「安易な稼ぎ方」でした。
 単価が低いから満足度も低くていいというのは、人口が増えているときには通用するロジックだったかもしれませんが、人口が減り始めた今、そんなことは言っていられません。
 実際、1990年台に入ってから若い人が増加しなくなった途端、日本各地の観光地では観光客がどんどん減っていきました。しかし、そもそも利益水準ギリギリで運営していたので、時代に合わせてビジネスモデルを変更するための設備投資をする余裕もありません。 ビジネスモデルを時代に合わせられないのですから、必然的に衰退の一途をたどるというのが、日本国内の多くの観光地が陥った悪循環です。時代の変化によって、ビジネスモデルが崩壊してしまったのです。この状態は、まさに、生産性の低い業界や会社が陥る典型的な「負のスパイラル」です。
 私は、本業である小西美術工藝社の仕事の関係や、各種の会議や視察でさまざまな場所を訪問する機会が多くあります。そのたびに、先ほど説明したような疲弊のプロセスを、日本各地で嫌というほど目にしてきました。ですので、自信を持って言えますが、このような悪循環に陥ってしまったのは、一部の観光地に限った話ではないのです。
 「観光施策=情報発信」という勘違い
 国内を中心とした、「整備より、とりあえず多くの人に来てもらえばいい」というモデルからすると、当然、「観光施策=情報発信」が観光戦略の基本となります。なぜ観光収入8兆円の達成が難しいのか、その理由の根っこには、いまだに日本に根付いている、この「観光施策=情報発信」という昭和時代のマインドがあります。
 事実、多くの観光地では現在、外国に対して「とりあえず情報発信すればいい」という観光施策を実施しています。
 誰も見ていないホームページの開設や観光動画の掲載、誰もフォローしていないFacebookでの情報発信、ゆるキャラやキャッチコピーを使ったブランディング交通機関頼みのデスティネーションキャンペーンなど、昭和時代のマインドのまま展開されている情報発信の事例は枚挙にいとまがありません。
 ちなみに、世界遺産、日本遺産、国宝、重要文化財に登録されるなど、お墨付きさえもらえれば人が来ると期待するのも、同様に昭和時代のマインドです。
 私は「日本遺産審査委員会」の委員を設立当初からつとめていますが、この事業は本当に残念に思います。もともとは下村博文議員が文部科学大臣のときにできた事業です。
 日本の文化財は点々と存在して説明も少ないので、本来の歴史・文化のストーリーを整備して、その歴史・文化を見える化して、解説案内板やガイドさんを整備するための事業でした。文化財をただの建物として見るのではなく、その文化財をより深く理解してもらうための企画でした。
 しかし、どうなったか。行政と業者が悪いと思いますが、構成文化財はほとんど整備されることがありませんでした。薄っぺらいパンフレットすら、できるのは一部。ほとんどの場合、訪れると何の整備、解説などもされていないのです。
 では何をしているかというと、とんでもないお金をかけて作った動画や集客につながらないことがほぼ確実なSNS、誰も見ないホームページ、NHKで紹介されたことなどを誇っています。本当にお粗末です。各日本遺産のホームページを検索してもらえばわかりますが、情報はほとんどなく、写真が数枚、説明が数行だけというところも少なくありません。Wikipediaのほうがよっぽど充実しています。
 残念ながら、日本遺産に認定されても、その観光地は認定される前と何も変わっていないことが多いのです。ただ単に、極めて高価な動画と、まったく意味のないホームページ、シンポジウムなどが無駄に作られただけです。情報発信を得意とする広告代理店などが儲けただけなのです。
 委員会で、何度も何度も「整備をしてから情報発信をしたほうがいい」と訴えてきましたが、今年の認定でも、大半の予算は情報発信のために使われることになっています。
 「情報発信すれば外国人が来てくれる」という甘い戦略
 その延長線で、「とりあえず情報発信をしておけば、外国人が見てくれて、たくさんの人が来る」という妄想を、観光業に携わっている多くの人が抱いているように思わざるをえません。
 とくに、自分たちで外国への情報発信を開始したタイミングが、たまたま日本政府が国をあげて訪日観光客の誘致に力を入れ始めた時期と重なり、実際に外国人の訪日客が増えたため、来訪客が増えた理由が自分たちの情報発信によるものだと勘違いしてしまったところが多いようです。しかし、この認識は正しくありません。
 言わずもがなですが、なんでもかんでも情報発信さえすればいいというものではありません。
 例えば、ホームページを作ったものの、英語のページは自動翻訳の結果をそのまま使っているのか、何が書いてあるのか意味不明で、何の役にも立たないといったケースを目にすることが多々あります。
 これでは、文字自体はアルファベットで外国人の目にも違和感なく映るかもしれませんが、ただ単に文字を並べただけなので、漢字の読めない外国人が形だけを見て並べた何の意味もなさない文章と変わりません。こういう意味不明、かつ無意味なものにも、それなりの費用が投下され、大金が浪費されているのを見るにつけ、いつももったいないなぁと思います。
 ほかにも残念な情報発信の例はたくさんあります。すばらしい出来の動画が掲載されているのですが、撮影された場所が立ち入り禁止だったり、一般の人には未公開だったり、行こうにも交通機関がまるでなかったり、泊まる場所もまったくない場所だったり、夕方5時になると真っ暗になる街中だったり……。
 こんなものを見せられても、観光客が持続的に集まるわけがありません。これは、地元の魅力に酔いしれ、どうしても魅力的に見せたいという自分たちの願望が優先され、相手の外国人のことを考えていないことの表れです。
 ほかにも、ピント外れな情報発信をしている例は少なくありません。例えば、「サムライの精神性に触れられる街」と盛んに宣伝している地域なのに、武家屋敷もなければ、道場も公開されていない。何かの体験ができるようになっているわけでもなければ、博物館などサムライの文化を説明する施設もない。お城はあるにはあるものの、鉄筋コンクリートで中はほとんど空っぽの状態で、楽しめるものは何もない。
 要するに、この地域における「サムライ文化」は、その地域の過去の特徴で、その地方の誇りですが、もはや現在では「架空の世界」なのです。お話にすぎません。
 このような状態では、「日本の魅力の1つであるサムライ文化に触れられる」と期待して、有給休暇をとったうえ、高いお金を払ってやってきた海外からのお客さんを困惑させるだけです。
 歴史的な事実があっても、それを実感できるものが何も整備されていないようでは、外国人観光客を満足させることはできません。日本人であれば「何々の跡」という石碑をありがたがって足を運ぶ人もいるかもしれませんが、時間もお金も日本人の何倍、何十倍もかけてやってくる多くの外国人にとっては、石碑はただの石でしかなく、それほど魅力のあるものではありません。
 日本で観光業に携わっている人に対して、声を大にして言いたい。重要なのは、まず観光地としての十分な整備をし、インフラを整えることです。情報発信はその後で十分です。
 宣伝の前に商品開発するのは当たり前
 ちょっと考えれば、私の言っていることが常識なのはすぐわかると思います。要は、情報発信をする前に、商品開発をきちんとやろうと言っているだけだからです。
 まだ売る車が出来てもいないのに、車を作る技術、その車の名前、イメージを自慢する動画を作って発信したところで、ビジネスにはなりません。
 多くの観光地は、これと同じことをやっているのです。道路表記はない、文化財の説明も多言語化していない、二次交通もなければ、十分な宿泊施設もない。各観光資源の連携もできていないのに、情報発信だけはしている。こんな観光地が日本中にあふれかえっています。
 多少はマシなところでも、パッチワークのように部分的にしか整備ができていないのが現実です。車の例で言うと、エンジンの一部と、車体の一部しか出来ていないのに売ろうとしているのと同じです。観光地の場合、総合的な整備がされていないところが実に多いのです。それなのに情報発信にばかり熱心なのは、やはり順序が違うと思わざるをえません。
 とくに、今はネットの普及によって、観光資源の魅力があれば勝手に口コミで広がってくれるので、昔のように観光地が情報発信する必要性が薄れています。
魅力的であれば、お客が代わりに発信してくれる。逆に魅力が足りない場合、どんなに観光地が発信しても、観光客が持続的に来ることはない。そのことを理解するべきです。
 当たり前の「やるべきこと」をやろう
 先走って情報発信を始める前に、訪れた外国人観光客に満足してもらうには、まずは地域の可能性を探り、どういった観光資源をいかに整備し、どういう観光地開発をするかを決めるのが先決です。
 やるべきことはたくさんあります。泊まる場所の確保、文化財ならば多言語対応、自然体験コースづくり、カフェや夜のバーなど飲食店の整備、それに交通手段の確保、各観光資源の連携。わかりやすい道路表記や、お昼のレストラン、文化体験、案内所などなど、整備しなくてはいけないことは山ほどあります。
 個別の整備もぬかりないようにしなくてはいけません。例えば、多言語対応は完璧を期すべきです。英語であれば、英語圏のネイテイブが書かなくてはいけません。日本語を英語に「翻訳する」だけでは、訪日客を満足させることはできません。
 ほとんどの外国人は日本の歴史や文化に関する基礎知識が乏しいので、それもわかりやすく、面白く説明する必要があります。日本について学ぶことは、彼らにとって日本に来る重要な楽しみの1つなので、丁寧にやらなくてはいけません。
 このように細心の注意をもって外国人に対応すべきだと私が言うと、必ず「そんなこと、できている国がどこかにあるのか」と批判めいたことを言う人が現れます。しかし、どこかの国ができているか否かは、日本でやるべきかどうかという議論とはなんの関係もありません。
 ほかの国以下に甘んじることは論外ですが、ほかの国がやっていないのであれば、諸外国を凌駕するレベルの外国人対応の準備を日本がやって、世界にお手本を示してやればいいのです。
 情報発信はこういう整備をやりながら、もしくは終わってから、初めてやるべきです。私が、2020年の観光収入8兆円の達成が難しいのではないかと考える根拠は、日本ではまだ外国人訪日客に十分にお金を落としてもらえるだけの整備ができていないからなのです。
 「郷に入れば、郷に従え」「観光客なんだから、あるがままの日本で満足しろ」という上から目線の反論が聞こえてきそうですが、この考え方は間違いであり、愚かだと断言しておきましょう。
 観光戦略は、地方がお金を稼ぐため、要は地方創生のために実行されています。今のままでは、訪日外国人が落としてくれるはずのお金を、落としてくれはしません。そのための準備が整っていないために、みすみす取り逃しているのです。つまり、日本の地方には機会損失が発生している。観光戦略の本質的な目的に反していることになります。
 外国人の満足は、地方の利益に直結していることを、観光業に携わる人にはぜひ肝に銘じてほしいと思います。せっかく来てもらった観光客に十分なお金を落としてもらわないと、観光戦略の意味がないのです。
 たいした金額を落とさない観光客がたくさん来ても、それは単なる観光公害でしかありません。今までの誘致人数主義を1日も早くやめて、稼ぐ戦略を実行するべきです。稼ぐ戦略に必要なのは間違いなく、本稿で説明してきた着地型の整備です。
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