🌅3〉─5・A─引き取り手のない孤独者遺骨は社会の邪魔なお荷物。~No.24 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 家・家庭・家族を捨てた現代日本人は、死ねば生きていた事実さえ抹消され、誰の記憶にも、どの記録にも残らず、全てが「無」に帰す。
 つまり、現代の日本人は消滅する人間である。
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 2023年9月9日 YAHOO!JAPANニュース 集英社オンライン「【年間3万人の孤独死】世界第3位のGDPを誇りながら、孤独死者の遺骨の押し付け合いが起きる悲しき日本の実相
 日本の貧困のリアル。
 日本の貧困は、いわゆる発展途上国の貧困とされる、「絶対的貧困」とはまったく形態が異なる「相対的貧困」といわれる。現代社会における「本当の貧しさとは何か」。年間3万人に上る「孤独死」から考える。
 【図表で見ると一目瞭然】男女・年齢階級別の自宅住居死亡単身世帯者数の推移
 『世界と比べてわかる 日本の貧困のリアル』 (PHP文庫)より一部抜粋してお届けする。
 日本 豊かな国でどう死ぬか
 現在、日本で起きている孤独死は、毎年三万件と推計されている。
 一時代前まで、孤独死には高齢の独居者がアパートで人知れず亡くなるイメージがあった。だが、最近は少し様相が違ってきている。東京では孤独死の件数は増加の一途をたどっており、二〇二〇年の統計では二三区だけで年間四二〇〇人を数えている。だが、図表27を見てみると、四十歳くらいから徐々に増えてきて、六十代でピークを迎えているのがわかるだろう。必ずしも高齢者だけではなくなっているのだ。
 孤独死は、貧困と無縁ではない。私は以前、孤独死保険の取材をしたことがある。あらかじめ孤独死が起きそうな物件に保険をかけておいて、孤独死が起きたらその保険によって傷んだ遺体の撤去から部屋の特殊清掃までを賄(まかな)うのだ。
 特殊清掃会社の社長は次のように話していた。
 「高齢者の孤独死は、お金があってもなくても起こります。しかし、中年以下の孤独死の場合は、八割以上は経済的に困っていただろうと思われる方ですね。ワンルームのアパートで、家具もほとんどなく、冷蔵庫も空同然で、おそらくは正社員として働いていなかったんだろうなという方です。現役世代の場合は、普通は社会につながっていたり、定期的に連絡を取る人がいたりするので、自宅で突然死したところで何週間も発見されないということが起きにくいんです。そうなるということは、その人が社会との接点がなかったということなのです」
 彼は遺族に聞いたという事例を教えてくれた。
 【ある若者の孤独死
 将也は、三十代半ばの男性だ。彼は高校を中退してから、関西から東京に居を移して一人暮らしをしてきた。最初は水道関係の会社で正社員として肉体労働をしていたのだが、三十代になってまもなく膝の怪我をして会社を辞めて以来、いくつかの日雇いの仕事を転々とするようになった。
 関西出身だったので、将也には都内に信頼できる人間がいなかった。また仕事場もコロコロと変えていたため、プライベートを一緒に過ごす知人もいなかった。
 将也は独り身の寂しさを紛らわすためか、かなり酒を飲んでいたようだった。おそらくそれが祟(たた)って脳梗塞心筋梗塞を起こしたのだろう、トイレで倒れたきり、誰に気づかれることもなく死亡した。
 彼の死が発覚したきっかけは、遺体が腐敗して悪臭が漂いはじめたことだった。鍵が閉まっている部屋から臭いがするということで、保証人に連絡が入ったのである。それで確認のために入ってみると、トイレに遺体があった、腐敗して原形を留めていなかったという。
 録音したお経を流してスタッフが手を合わせるだけの「直葬
 この例からわかるように、低所得の人たちは仕事をしていても、雇用形態や勤務形態から孤立しているケースが少なくない。家で急死しても、それを確かめる人がいないのだ。それゆえ、発見が遅れることになる。
 もう一つ、目を向けなければならないのが、身寄りのない生活困窮者の埋葬についてである。
 一般的に、日本で独居やホームレスの人が亡くなれば、自治体が親族に連絡をして事情を話し、遺体の引き取りを依頼する。親族が承諾すれば、彼らが自腹を切って葬儀から埋葬までを執り行う。
 ところが、自治体から連絡を受けた親族の方が、遺体の引き取りを拒否することがある。生前に故人との関係が悪かったり、経済的に引き取る余裕がなかったりするケースが大半だ。こうなると、自治体自らその遺体の処理をしなければならなくなる。
 この際、自治体は契約している地元の葬儀会社に業務を委託するが、一人当たりの予算は決まっている。地域によって差があり、一、二級地(東京二三区などの大きな町)なら大人が二〇万一〇〇〇円、小人が一六万八〇〇円、三級地(地方の小さな町や村)だと大人が一七万五九〇〇円、子供が一四万七〇〇円となっている。業者はこの金額ですべてを行わなければならない。
 だが、現実的にはこの金額で葬儀から火葬、そして納骨までを行うのは難しい。葬儀会社の社員は次のように語る。
 「国から出るお金でできるのは、せいぜい直葬と呼ばれる簡単な葬儀を行って火葬するところまでです。直葬というのは、お寺に依頼せず、DVDなどで録音したお経を流してスタッフが手を合わせるだけの葬儀ですね。火葬場は火葬の金額は決まっているために値引きはできません。なのでご遺骨にするまでが私たちの役割となります」
 孤独死した人の遺骨はどこへ
 問題は、遺骨の埋葬だそうだ。
 「ご親族がご遺骨だけでも引き取ってくれればいいのですが、それを拒否されると、自治体や我々の方で埋葬場所を探さなければなりません。これが難しいのです。
 自治体が公営の霊園を所有していれば、そこの無縁塚に無償で納めることになります。それがない場合は、民間のお寺さんなどに頼むしかありません。無償、あるいは格安で引き取ってもらい、そこの無縁塚に入れるのです。
 厄介なのは、引き取り手がいない場合、火葬にしたご遺骨をすぐには無縁塚に納められないことです。新たに引き取り手が出てくる可能性を考慮して、二年なら二年、五年なら五年と一定期間保管しなければならない。この期間は自治体によって違います。問題は、その期間誰がどこでご遺骨を保管しておくかということなのです」
 自治体の持っている霊園に遺骨の安置所があればいい。だが、そうでなければ、次のうちどちらかの方法をとることになる。
・葬儀会社が無償で預かる。
自治体が保管する。
 前者は、自治体から依頼を受けた葬儀会社が、無縁塚への埋葬の日まで遺骨を預かるということだ。
 これは葬儀会社にとっても苦渋の決断だ。こうした仕事の受注を増やしたければ、葬儀会社は自治体に良い顔をしておいた方が得だ。遺骨を預かっておけば、自治体からサービスが手厚いと思われ、同様の仕事の依頼が舞い込みやすくなる。
 葬儀会社の負担は、遺骨の保管スペースだ。遺骨の数が一つ二つであれば、事務所のどこかに置いておくことができるが、それ以上の数になるとそうはいかなくなる。そのため、最初は空いているスペースに置いていたものが、だんだんと手狭になり、専用の保管場所を借りるか作るかしなければならなくなる。
 自治体と葬儀会社による遺骨の押し付け合い
 後者は、自治体が葬儀会社から遺骨を引き取って保管するということである。
 自治体が直面するのも保管スペースの問題だ。最初は役所内の空いている部屋やロッカーに置いていても、数が増えればそうはいかなくなる。自治体が新たにスペースを設ける場合、大抵は自治体の所有地を利用する。未使用の古い公民館だとか、廃校になった学校などに移動させるのだ。私が取材したケースでは、役所の敷地内にプレハブを建てて、そこに何十という遺骨を置いていた。
 先の葬儀会社の社員は次のように語る。
 「あまり言いたくありませんが、自治体と葬儀会社がご遺骨の押し付け合いをしているようなものですよね。一度かかわってしまったら、どちらかが引き受けなければならなくなります。亡くなった人にとっては、尊厳もへったくれもありませんが、それが現実なのです」
 現場の人ならではの本音だろう。生活困窮者とて人間である。生前何かしらの理由で仕事がうまくいかなくなったとはいえ、死後も遺骨をたらい回しにされ、挙句の果てに物置場や廃校に埃(ほこり)をかぶって何年も放置されるなどということはあってはならない。
 だが、残念ながら、今の日本ではそうしたことが現実に起きてしまっている。これが、世界第三位のGDPを誇りながら、世界ワースト四位の相対的貧困国日本の実相なのである。
 今後格差が拡大していく中で、このような場当たり的な対応がどこまで通用するのか。根本から日本の制度を見直さなければ、明るい未来は見えてこないだろう。

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 石井光太(いしい こうた)
 ノンフィクション作家
 1977(昭和52)年、東京生れ。 国内外の文化、歴史、貧困問題などをテーマに取材、執筆活動を行っている。主な著書に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』など。

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